御霊のたもう一致
−弟子たちが歩んだ再結集への道のり
神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
(使徒言行録2章32〜36節)
千葉教会牧師
西岡昌一郎
イエスの十字架の苦難と死は、最高法院と呼ばれたユダヤ議会とローマ総督の権力によってもたらされたものでした。一方、それはイエスの弟子集団の瓦解と離散をもたらす出来事となりました。弟子集団の崩壊はユダの裏切りが端緒となったばかりではなく、ペトロもまた三度もイエスを知らないと言って否認したことで決定的なものとなりました。その弟子たちが、使徒言行録に報告されている十二使徒としての再結集(使徒言行録1・3以下)へと至るまでに、その間、彼らは何を思い、何を考え、何を経験していたのでしょうか。
弟子たちには、最高法院やローマ総督に対する怒りと敵意の気持ちはあったはずです。しかし、それだけで弟子たちが再結集できたかと言えば、いささか疑問です。
使徒言行録と同じ著者であるルカ福音書では、ペトロは三度イエスを知らないと言ってしまってから、「外に出て激しく泣いた」(ルカ22・62)とあります。その後、ペトロはイエスのいなくなった墓の中を見て、驚きながら家に帰りました(同24・12)。さらには弟子たちが「本当に主は復活して、シモンに現れた」と言っていたとあります(同24・34)。そして、十二使徒としての再結集へと至るのです。
弟子たちはイエスの十字架を前に、この世の不条理を感じたでしょう。しかし同時にそれをどうすることもできなかった自分たちの無力さと不甲斐なさ、さらには自己保身からとは言え、最後には十字架のイエスのもとから逃げ出してしまった自分たちの非力さと罪深さをも思わずにはいられなくなったことでしょう。
十字架の傷と向き合う
「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(32)。
五旬祭の時に、ペトロが語ったのは、イエスの復活(32)と、約束された聖霊(33)、そして十字架で殺されたイエスが主、メシアだという宣言(36)でした。聖霊の出来事とは「イエスが主である」とする信仰共同体の始まりの出来事でした(コリント一12・3)。十字架でイエスが身をもって受けた深い傷の痛みを思うごとに、ペトロたちは、みずからの心の闇と向き合わざるを得なかったのではないでしょうか。にもかかわらず、彼らはイエスがそんな自分たちのために、それでもなお十字架の死を超えて新たな命をもって生きていてくださっているのだと気づかされたのです。
間違いや失敗を繰り返すのが人間ですが、そんな自分たちのために、もう一度生きてくださるキリストが歩き始めて行かれたというのです。
「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました」(33)。
弟子たちは、イエスの十字架の深い傷と向き合い、みずからの罪を知りました。しかも、彼らはそれでもなおその自分たちと、もう一度歩き始めてくださったイエスの姿を見たのです。このため弟子たちは主の赦しなくてはあずかれない恵みを聖霊による悔い改めをもって告白することとなったのです。
ペンテコステまでの道のり
「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36)。
日本基督教団の成立は、日本の国家が始めた戦争の歴史を抜きにしては語れません。教団は1941年、当時の国家の強い権力のもと、30数派の教会がいっきょに統合されて生まれました。政府は、この教団合同をもって、日本のキリスト教が国家の戦争政策に積極的に協力することを求めました。当時の日本のキリスト者の多くはこの戦争を支持し、これに協力しました。それが日本の教会の責務だと考えたわけです。
このように、教団の成立は、教会としての主権よりも国家の主権が強く働きました。それを「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」(教憲前文)と言うのであれば、それは聖霊の神による悔い改めなくしては語れません。また聖なる公同の教会がイエスを主とする教会であるということは、この国家権力にもまさる主権が十字架の主メシアにこそあるということです。その意味で教団合同には悔い改めが伴ないます。同時にこの教団の罪責を、それでも赦してくださる主の恵みもまた罪の告白と悔い改めなしには語ることはできないでしょう。これなくして「御霊の一致」はありません。このことは1969年の沖縄キリスト教団との合同にも通じる事柄でもあります。
昨今の教団総会を見ると、教団は大きく二分化したままです。目下、互いが一致できる見通しはありません。しかし、そんな教団でありながらも、各地で頻発する災害や貧困、戦争など、この時代の痛みと傷のために、多くの教会が人的にも資金的にも大きな力を注いできました。また地方を中心とした小規模教会の宣教に関わる連帯のためにも、少なくない諸教会が祈りと力を集めてきました。いずれも痛みと傷、そして弱さに関わる部分で力を合わせてきたのは確かです。そこに教団としての希望と可能性を見ることができるのかもしれません。
この傷だらけの教団がキリストの体だと言うのであれば、主の赦しと聖霊による悔い改めと共に、もう一度教団が歩き始めるのはいつなのでしょうか。いったんは離散した弟子たちが再結集へと至ったペンテコステまでの道のりを、わたしたちの教団もまた歩き出すことができるのでしょうか。