キリストの妥協なき眼差しに導かれ
石動教会牧師・幼保連携型認定こども園石動青葉保育園園長
井幡 清志
富山県下でも人口減少著しい小矢部市。公立園は統合、他の私立園も定員を下げ始めた中で当園は数億円を借りて新園舎を建築。地域の子育て世代に「園児の生き生きした姿」が少しずつ伝わり165名の園児と充実した日常を送っています。「うまくいっている」ということでなく、託された務めを見極め、自分たちの働きを磨き、共に担う保育者の人生を大切にして、小さなこと一つ一つに立ち止まってきた今の姿です。
カナダ人キリスト者による明治期の創立ですが、今日の保育の難しさは当時の比でなく子育ての孤立化、地域子ども社会の衰退、夜型生活の低年齢化、ゲームや動画サイトの影響など厳しい状況が山盛り。その中で命を深く捉え、生きる幸いを心の奥にまで伝え、『子供の育ちを救う』ことは保育に与えられた務めです。そこで真に子どもを主体とする保育を求め、保育者が深く自分を見つめながら自信と誇りを持って子どもの傍に立てる者となるとの思いを共有して歩んできました。「幼子のように」と人々の目を子どもの姿に向けた主イエスのお考えによる実践を、正攻法でやれる保育者集団を作ることが力になると実感しています。
今、働いている職員40名の半分近くが保護者出身。子どもに向かう保育者の姿勢に共感し園を守る一員となってくれました。職員から礼拝に繋がる者も少なからず、今は23名が石動教会員です。勤めて初めて聖書を読んだ人が大部分、そこから信仰へと導かれる道筋は実に様々ですが一つ言えるのは、使命である保育を探求する営みそのものが大切だということ。神は保育を通して命の可能性・かけがえのなさに向き合う課題を与え、保育者自身の人間性を保育の中で深く問われます。御言葉がその課題や問いへの導きとなり、力を与え、慰めを与える…それらが合わさって今に繋がっていると見ています。
信仰が職員の関係も深く真摯にします。問題があれば共に立ち止まり、大人の事情でなく子どもにとっての最善を真っ直ぐ求め、互いの保育を率直に語り合える…なぜそうできるか。同じ御言葉の響く中に身を置いていることが大きいと職員たちは実感し自覚しており、これは教会にまだ繋がっていない職員への証です。保育のあり方も含め石動で起こっていることは、キリスト教園や教会に一つの可能性を示す実践ともなっていると思いますが、どうでしょう。
2021年秋に完成した新園舎は、園での豊かな日常を保障するため保育環境に関わる既成概念を打破し、幾つもの挑戦を含んだものです。これは子どもたちの最善をブレずに求め、自分たちが変わることを厭わない保育者たちがいるからこそ実現できたこと。保育者による虐待のあった園があり、十字架を頂く園舎の映像が全国に流れました。園舎を建てて人を雇えば保育ができるのか、キリスト教団体がやればキリスト教保育になるのか。大事な課題です。私たちは、キリストの妥協なき眼差しに導かれた豊かな保育の内実をこそ希求したいのです。