「あのことがあって今がある」
教団総会議長、越谷教会牧師 石橋 秀雄
2011年3月14日、石巻に入った。凄まじい津波に破壊され、ヘドロで埋まった地に立ち、衝撃を受け言葉を失ってトボトボ歩く心に「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある」(詩編124・8)との御言葉が示された。この御言葉を掲げて、直ちに「東日本大震災」の議長メッセージを書き、さらに、この御言葉を掲げて東日本大震災災害救援基本方針を定めて活動して来た。
大震災発生後の最初のイースターを迎えることになるが、その前の日の23日のことは忘れられない。23日は「土曜日のキリスト」だ。死んで墓に納められた主イエスを見つめる日だ。この日の朝日新聞の天声人語に被災者を思ってと島田陽子氏の詩「滝」が掲載されていた。
「滝は滝になりたくてなったのではない/…まっさかさまに/落ちて落ちて落ちて/たたきつけられた奈落に/思いがけない平安が待っていた/新しい旅も用意されていた/…」と詠われる。
仙台エマオが救援活動をする笹屋敷の東側は荒浜地区だ。綺麗な海岸がある、しかし、津波の凄まじい破壊で192名が犠牲になった地だ。「滝になって、まっさかさまに落ちて、たたきつけられた奈落」だ。
東日本大震災救援対策をまず祈ることから始めたいと「11日2時46分」被災した方々が「月命日」と呼ぶ日を「11日2時46分祈りの日」として全国の教会に呼びかけた。仙台エマオは「11日2時46分」この日のボランティア全員が荒浜の海岸で輪になって祈り続けてきた。わたしもボランティアで汗を流し、この祈りの輪に加わった。
この地域で残っている家屋はない。全て流されて土台だけになっている。わたしはこの「絶望の土台」の場にしばしば行き、祈った。この奈落の底に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27・46)と叫んで十字架に死んだ主イエスが横たわっている。この「土曜日のキリスト」を見つめながら「思いがけない平安」を求める祈りを祈り続けた。
仙台エマオは荒浜地区の人々が住む仮設住宅で活動をしてきた。この方々が「エマオ同窓会」を松島の温泉で開くということで、わたしも招かれた。食事会の後、二次会がわたしの部屋で開かれた。「あのことがあって今がある」と語られ、この言葉に頷いていることに驚いた。お互いに悲惨な経験を知り尽くしている。そこから生まれた「新しい人間関係」に生かされてきた。「思いがけない平安」を知り、経験してきた被災者の「あのことがあって今がある」の言葉を聞いて感動した。
1万人を超えるボランティアの青年が、被災者との出会いの中で、悲惨を知る中で、自分の生き方を問い、自分の生き方を変えている姿に日本の未来に希望を持つことが出来た。海外の教会から多額の献金と祈りが捧げられた。
14年に日本基督教団初の「東日本大震災国際会議」を開催し、さらに17年に「エネルギー持続可能社会の実現を目指して」を主題として「国際青年会議」が開催された。
このつながりをどのように深め、「東北教区放射能問題支援対策室いずみ」の働きをいかに支援して行くか、教団の大きな課題だ。
分かち合い続けてきた10年
東北教区総会議長、福島教会牧師 保科 隆
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年を迎えます。被災した時は仙台におり今は福島におりますが、この10年間はずっと東北教区内の教会におりました。震災で被災した地域の東北教区で10年を歩んだものとして思いつくことを記します。
一つは福島の原発事故のことです。東北の受けた四重苦という言葉が使われました。地震、津波、風評被害、原発事故です。しかし、自然の災害としての地震や津波と人災である原発事故を並べて考えることは出来ません。東北教区は、2012年と2013年どちらも5月に高橋和人議長名で2度にわたり「原子力発電所の廃止を求める声明」を出しています。その思いは東北教区に継続されていると受け止めています。原発には反対です。宮城県における女川原発二号機の再稼働の動きや、福島の事故を起こした原発の廃炉作業の中で原子炉建屋の中に予想もしない高レベルの放射能が付着している物が最近になって見つかりました。そのことを一つ考えても廃炉作業は汚染水の処理も含めて安心できる状況ではありません。「安心・安全」未来の明るいエネルギーといわれ、日本各地に続々と造られた原発でしたが工程表のように進まない廃炉作業を見ると、「安心・安全」とはほど遠い現実があることを知ります。
東北教区には福島県浜通りにある二つの伝道所が事故後に帰還困難区域に国から指定されました。そのためすべての活動ができなくなりました。小高伝道所の礼拝は最近になって再開されていますが浪江伝道所については礼拝再開のめどは10年過ぎた今も立っておりません。
もう一つのことは震災後に生まれた教区の教会救援復興委員会の働きです。地震により建物に被害を受けた教会に対する支援の働きが、教団の東日本大震災救援対策本部との協力によってなされました。支援申請額の半額支援、半額貸付けの制度にはいろいろな意見がありましたが現在も教区内に借入金の残額を返済している教会があることを覚えていただきたいと思います。
さらに被災者支援センターと放射能問題支援対策室「いずみ」の働きもなされました。この働きは日本国内のみならず海外からの支援と祈りによって続けられました。津波被災地支援を中心とした被災者支援センターはすでにその活動を終了していますが、その活動にボランティアとして参加された方は1万名近くです。海外からのボランティアもおられました。教団派遣の専従者としてまたスタッフとしてかかわってくださった方々もおられます。その働きに感謝です。
「いずみ」の働きは現在も継続中です。2013年に活動を始めるときにはアメリカ合同メソジスト教会の災害支援の組織(アムコール)やCGMBからの財政支援を受けました。また北日本3教区(北海・奥羽・東北)で夏と春の年2回の福島の子どもたちの親子保養プログラムを14回まで継続しました。3教区間の協力があってなされたプログラムです。北海教区からは「いずみ」を立ち上げる時のスタッフの協力も受けました。
コヘレトの言葉11章2節に「七人と、八人とすら、分かち合っておけ 国にどのような災いが起こるか 分かったものではない」とあります。震災から10年が過ぎ、またコロナ禍の中にある今、このコヘレトの言葉をかみしめたいものです。