さかえのかむりは十字架に
隠退教師 上林順一郎
1992年11月、教団総会で新議長に選出された原忠和さんに当時教団新報主筆の私は「議長としての抱負」を聞きました。「いつ辞めてもいいし、気楽にやる」が答えでした。この部分は新報では没にしましたが、物事にこだわらない自然体の人でした。
原さんは1933年、台北市で牧師の家庭に生まれ、同志社大学を卒業後アメリカのオベリン神学校に留学、帰国後は伊予小松教会、大津教会、京都教会、南大阪教会、生野教会を歴任し、この間教師検定試験委員長を2期、教団議長を1996年まで2期4年務めました。
議長在任中の1995年1月17日阪神淡路大震災が起こり、京阪神各地で甚大な被害が生じ、多くの教会も被災しました。原さんは率先して救援活動を行いますが、救援活動のあり方を巡って対立が起こり、厳しい批判が原議長に向けられました。悩み、祈る中で辞任を考えたこともあったようです。しかし「主にのみ十字架を負わせまつり、われ知らずがおに あるべきかは」(愛唱讃美歌54年版331)と、最後まで責任を取る決意をします。自分の十字架を負ってイエスに従った信仰者でした。
2009年に隠退し、穏やかな日々を過ごしていた昨年のクリスマス・イブ、突然自宅で倒れ、一時快方に向かいましたが2020年2月15日、86年の生涯を終え神様の御許へ召されました。教会を愛し、教会に仕え続けた牧師であり、人々の魂に寄り添いつつ生きた牧会者でした。