国立ハンセン病療養施設は全国に13か所ある。それぞれの施設にキリスト教の教会が存在する。施設利用者の減少に伴い、役割を終え、閉じていく教会もある。
そのような中、今もキリストの証しの灯を守り続けている教会がある。青森市の松丘保養園内に存する「単立・キリスト教松丘聖生会」が、その一つである。聖生会会長の神子澤悦子姉は、ご自身の生涯と重ね、聖生会の歩みを次のように振り返る。
1953年頃、園内にあった教会は聖公会一つだけで、その礼拝にはカトリック、プロテスタントの信者が混在していた。1954年にカトリックの教会堂が建てられ独立し、1956年には好善社によりプロテスタント教会の新会堂が献堂され、聖生会だけの礼拝を願い、聖公会を離れて新しい歩みを始めた。
聖公会を離れ、独立した後は、日本基督教団弘前教会の藤田恒男牧師が葬儀や洗礼式などの牧会責任を負い、青森市内の宣教師や牧師、兄姉が日曜午後の礼拝に奉仕し、支えてくれた。藤田牧師が高齢になってから、青森市内の教団青森松原教会の中山年道牧師に聖生会の奉仕をお願いした。
人生を振り返り、今想うことは「わたしたちの国籍は天にある」ということ。新しい命を与えられ、涙が溢れた日を忘れられない。80数名の聖生会であったが、祈りつつ兄弟姉妹を天へ送った日を想いながら、「測り縄は良き地に落ちた」の詩編の御言葉に感謝して、たくさんの牧師、諸兄姉に支えられた。
最後に残る者は二人、三人になるかもしれない。しかし、最後まで礼拝を守り続け、讃美と祈りをささげ、福音の証しに励むことを書き残した亡き夫・神子澤新八郎(2019年召天)に感謝しながら生きたい。
青森市松丘保養園(国立ハンセン病療養施設)内にある「松丘聖生会」会長。