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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4665・66号】牧師のパートナー

2009年1月17日

自分のできることを一生懸命やりなさい
秋山 星子(上尾合同教会員)
しっかりとした自覚がほとんどないまま、二〇年間の幼児教育者を育てる学校の教師生活から、一転して牧師のパートナーになりました。四二歳からの出発でした。なぜか、不安も気負いもなく歩み出せたことはいろんな要因があったにせよやはり主がお備えくださった道であったと感謝しています。
その背後には、クリスチャン一世の母の祈りがあったと思います。伝道師になりたくて、大正の初期に西宮にあるランバス女学院神学部に入学しましたが、志半ばに中断したのです。母はすべてに積極的で、前向きに進む人でしたが、翻ってわたしはすべて正反対。何時間黙っていても平気なところがあります。ただ、確かに言え ることは、神さまの御用のために用いられる人になってほしい、という両親の祈りに応えてくださって、長い独身生活の後に、図らずも牧師と結婚することになりました。
主に仕えるという共有できる目標が与えられ、牧師の伴侶として、若松教会(北九州市)、蕃山町教会(岡山市)、アメリカ・ミシガン州にあるウエスタン神学校とホランドの日本語礼拝、そして、ここ上尾合同教会と、三五年近くを過ごしてきましたが、宣教の業につかせていただける恵み、主にある多くの兄弟姉妹の祈りの交 わりに支えられていることの感謝をかみしめています。
牧師のパートナーとして、何をしなければならないのか、何ができるのか、と考え始めますと壁にぶつかってしまいます。何よりも、み言葉を十分に語ってほしいと願っていますが、「説教が長くならないように」、とか、瑣末のことばかりに気を取られて、本質的なことをおろそかにしているわたし。永遠の時の中に生かされて いるわたしたちであるのに、今のことばかりを気にしています。どんなときにも、どんな方をも心から受け入れようと心掛けていますが、これもなかなか難しいことです。
一人ひとり神さまからの賜物が与えられているはずですが、それは千差万別。「キリスト者の自由」には"アディアフォラ"の自由の領域があることを学びました。「何をしてもよいし、何をしなくてもよい」、自らの信仰に従って自由に選択できる領域です。これを学んだとき、自分のできることをやればよいのだ、と本当に気 持ちが楽になりました。「自分のできることを一生懸命やりなさい」ということなのでしょう。"万年うつ"のわたしは、いつも何かをやろうという気力がなかなか出てきません。しかし、何か自分にできることをさせていただける機会があると、不思議に元気が与えられ、生きる喜びの原動力となることを経験してきました。その ことが神さまの御業につながるならば、二重の喜びが与えられます。
何もしないわたしを、神さまは牧師のパートナーになるように拾い上げてくださったのでしょう。不思議な神さまのご計画に今あらためて、深い感謝を覚えています。緊張をもってはじまる主の日の一日、わたしは、主の日の夜が一番好きです。

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