いつも用いている聖書に、私はたくさんの栞を挟んでいる。長く使えるので革製のものが多い。自分で買ったものではなく、記念に頂いたものがほとんどである。結婚記念、就任記念、献堂記念など嬉しい思い出もあるが、召天や召天一周年記念など寂しさの込み上げるものもある。説教や聖書研究などの際、必要な御言葉を示す度に栞を使う。そして常に挟んでいる栞の数は、20枚を超える。聖書の厚みが一倍半くらいになっている。中には数十年も使っている栞もあるが、まったく古びていない。栞そのものに記された御言葉もくっきりと鮮やかである。時々、探している御言葉が栞そのものに書いてあったりして苦笑することもある。
大切な人や教会の名前を見ながら聖書に栞を挟む。その名前と今示される御言葉を重ねて、しばらく祈ることもある。神の守りと祝福、そして慰めを深く思い、それぞれの歩みが神の国へと向かうことを感謝する。御言葉を聴き続ける生活、御言葉と共にある交わり、そして共に将来に向かう喜び、そこに生かされる幸いを受け取っている。
御言葉を共に聴く交わりは素晴らしい。離れていても、時が過ぎても、互いを御言葉に位置づける恵みと平安がそこにはある。互いの確かさを主から示されるのである。いわんや礼拝で御言葉を共に聴く群れの喜びは如何に大きなことであろうか。
(教団総会副議長 佐々木美知夫)