問いつつ、問われつつ
菅根信彦
この八月開催された、教区社会部平和聖日集会において『教会から考える教育基本法』を主題に、扶桑社の歴史教科書採択反対運動を通しての講師の証しを伺いました。そこで、改めて思想や信教の自由を含めてその権利が脅かされている教育現場の危うい統制化された現状を教えられました。
同時に今を生きる私たちが「コンフリクト・フリー」の状況に陥ってしまっていることを想起させられました。周りで重大な事態が進行し、それによって大きな被害を受ける可能性が高いか、あるいは、実際に受けているにも関わらず、当時者の内面で葛藤や軋轢が感じられなくなった状態をそう呼ぶそうです。元来は、コンピューター用語ですが、近年は精神医学の世界でも広く使われています。思考の面で言えば、論理の矛盾に対して一定程度のセンシビリティー=感性もなくなってしまった状況です。このような感性を抑圧して、同調的圧力が働く中で繰り返しある出来事を強要されると人の思考は麻痺し停止状態になるそうです。
教区が抱える宣教課題はそれぞれ重く、福音理解の質や自己の在り方が問われるものです。「教師問題」「『合同』のとらえなおしの課題」「セクシュアル・マイノリティー差別問題」「被災者支援の問題」「地域格差の問題」なども根本的な生き方が問われてきます。しかし、そこで生じる葛藤を大事にしながら対話しつつ宣教課題に取り組んでいかなければと、集会を通して深く考えさせられました。
(兵庫教区総会議長)