【4875号】新春メッセージ 崩れの極限から新しい世界の創造 石橋秀雄

イザヤ書65章17~25節

崩れに沈む民—神の怒り
 2018年の新しい歩みが始まった。

 新しい年に「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65・17)との御言葉が示された。崩れて行く、この崩れに沈む民に、希望の言葉が響きわたる。

 「わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する」(同18節)。

 新しい天と地、そして、人間の創造の主の言葉が示されている。

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31)。神が造られた極めて良い世界は、崩され続けてきた。

 旧約聖書の示す主の民の歴史は、「神が喜び楽しむ民」ではなく、最後には「主の怒りが燃え上がる」罪の歴史を歩んでしまう。

 出エジプトの民を主は「聖なる神の民」として選ばれ、「わたしの宝」と神は喜び、愛し支えられた。

 しかし、聖なる民の歴史は、神への信仰が崩れ続け、最後には神の怒りが燃え上がる歴史を重ねて来た。

 神の怒りが燃え上がる崩れの極限で神の愛が燃え上がり、新しい世界と新しい人間の創造の御業が示される。

 

崩れの奥底に横たわる主イエスの死—福音の純化
 2017年11月23日、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会共同開催の宗教改革500周年記念礼拝とシンポジウムがカトリック浦上教会で開催され、招待を受けて参加し、その礼拝に感動し、協議会の発題に感動した。

 特に「『長崎の声』—苦難の歴史を踏まえて」として、橋本勲カトリック中町教会主任司祭の言葉に魅せられ深く教えられた。プロテスタントが「福音のみ」ならば、カトリックは「福音化」だ。「信仰の一番搾り」をと、ビールの銘柄を連想させながらユーモアたっぷりに語った。

 「ルターも『聖書のみ』という主張をもって贖宥状(免罪符)など、あまりに人工添加物が付き過ぎた教会の現状を眺め、イエス・キリストへの純化を目指したものと思われる。これらの言葉を頼りに、崩れすなわち福音化の実態に迫ってみたい。それがすなわち平和づくりにつながる」と述べ、浦上崩れの話をした。「崩れの時は福音の純化の時」として語られる。

 カトリックで崩れと言えば、「浦上四番崩れ」として知られている。浦上村はキリシタンの村だ。浦上キリシタンは3度の弾圧を受ける。弾圧は「浦上一番崩れ、二番崩れ、三番崩れ」と呼ばれる。そして「四番崩れ」は特別に強調されている。崩れが福音の純化をもたらしたからだ。三番崩れまでは信仰を隠していた。しかし、浦上四番崩れにおいては信仰を鮮明にして檀家寺から離れて、独自に葬儀をしたり、キリスト者であることを隠さなくなった。それで、激しい弾圧があり、キリスト者は「殉教するか、信仰を隠して隠れキリシタンとして生きるか、棄教するか」の決断を迫られ多数の殉教者が出た。

 そして、長崎原爆を「浦上五番崩れ」として話された。

 

崩れの極限で、神の愛が燃え上がる
 作家永見津平は長崎原爆を扱った小説のタイトルを「長崎五番崩れ」とした。永見はキリスト者ではない。長崎原爆はキリスト教の視点で見なければ理解できないと言った。橋本司祭は「異論もあるかもしれないが」と断りながら、「原爆は、キリシタン村である浦上に落とされた。浦上教会は原爆投下地点から500メートルのところにあり破壊された。凄まじい破壊を五番崩れとして崩れの極限として見つめるようになった。『崩れ』の究極的奥底にイエス・キリストの死をイメージし、死、この極限の崩れは、復活の希望へとつながる。キリスト、この一点へと搾り信仰を純化する。原爆の凄まじさは、社会の崩れをも意味し、崩れの極限においてキリストの十字架が示され、十字架は復活の希望を指し示す。原爆が爆発した罪の極限で、キリストの十字架の愛が爆発し、世界に和解と平和と希望が指し示された」と語った。

 原爆は崩れの極限であり、人間の罪の極限であり、社会の崩れの極限である。神の怒りが燃え上がるところで、キリストの十字架と復活によって神の愛が燃え上がって、「新しい天と地、そして新しい人間」が創造される。「神が喜び楽しんでくださる人」の創造だ。教会の礼拝は「新しく創造された天地」につながる。新しい天と地の永遠の命をいただいて、礼拝を捧げる主の民を「主は喜び楽しんでくださる。だから。喜び踊れ」との御言葉が新しい年に響く。

 「宗教改革500年共同記念集会」では、ルターの「この世を動かす力は希望である」と示されていた。主イエスの十字架と復活、ただ一点に信仰が純化されて真の希望を指し示す伝道の業に取り組みたい。 (第40教団総会議長・  越谷教会牧師)

【4875号】熊本・大分地震被災教会のクリスマス

主が建てられた教会を信じる 別府不老町教会
 熊本地震によって被災した緒教会の復興のために祈り、支えくださり、心より感謝する。主の憐れみと皆様の支援がなければ、復興の道筋は到底見出すことができないものだった。改めて、祈られ、支えられている幸いと喜びを心に刻むものである。

 震災以後、別府不老町教会は礼拝堂が使用できなくなり、礼拝堂の建て直しを決議して歩んできた。しかし、以前に行った建築の借入金も完済しておらず、資金の目途がまったく立っていないなかで、計画を進めることになった。日々不安や恐れとの戦いがあり、「神を信頼するか」、「主が建てられた教会を信じるか」が大きく問われることとなった。

 資金が足りなかったときのための資金繰りに頭を悩ませていたが、主なる神と主の教会は私たちの信頼に応えてくださった。

 九州教区の執行部、教団の会堂等復興支援委員会、教団伝道委員会が祈りをもって配慮くださり、復興支援金や借入金の拠出を迅速に承認くださったことで、大きく復興への前途が開けた。ただ感謝あるのみである。

 12月現在の時点で新礼拝堂の外観はほぼ出来上がり、内部の工事に取り組んでいる。除却される旧礼拝堂を見たときは、ローマ兵に痛めつけられた主イエスの御体を想起させられ、涙が出た。しかし、新しい会堂が建ち上がっていく姿に、復活の新しい朝の喜びを予感している。クリスマスを祝うこの時に、死と復活をもって私たちの歴史を新たにしてくださるキリストの聖なる愛を思いめぐらしている。

 今後、長らく借入金の返済を担わなくてはならないが、「主の山に備えあり」の信仰をもって、主のご計画に仕えていく所存である。

 改めて、皆様の祈りと支援に深甚の感謝を表したい。
(齋藤真行報/別府不老町教会牧師)

 

諸教会の祈りの結実 隈府教会
 2016年4月14~16日にかけて発生した2回の震度7を中心とする一連の熊本地震は、熊本、大分両県にまたがり甚大な被害をもたらした。いち早く日本基督教団による被災教会会堂等再建募金が展開され、多くの献金が献げられていることを、まずこの場を借りて感謝申し上げる。

 震災から間もなく丸2年となるが、被災地にある教会の再建はなお道半ばというのが現状である。業者の不足、資材の高騰等の影響も大きいと思われる。どうか引き続き被災地を覚えて祈ってくださるようお願い申し上げる。

 そういう中で、2017年2月、隈府教会は新会堂の建築を決議した。すでに築80年以上と老朽化の問題があったが、地震による被害も甚大で、専門家による被災度区分判定では「中破」の診断を受けた。それでも毎週10名前後の会衆が礼拝をまもり続けており、その安全な礼拝の場所を確保するためにも祈りつつこの決断に至った次第である。

 早速、地元の業者に依頼、9月に着工、12月には完成、引き渡しという運びになった。礼拝堂だけの小さな会堂であるが、木のぬくもりを感じる落ち着いた作りである。

 礼拝堂正面の十字架は、その歴史と苦労を忘れないため、旧会堂の床柱を加工して据えた。昨年のクリスマスは、新しい会堂で感謝のうちに祝うことができた。クリスマスは神さまの愛の結実であるが、この会堂も被災地を覚え祈ってくださった全国諸教会の祈りの結実である。

 隈府教会は、旧メソジスト教会の伝統に立ち、今年2018年には伝道開始120周年を迎える。教会のある熊本県北東部(菊池、阿蘇)の地域は、プロテスタント教会の空白地帯であり、日本基督教団九州教区熊本地区としても、隈府教会をこの地域の伝道の拠点となる教会として位置付けている。

 礼拝堂が整備されて、この地域への伝道がますます進展していくことを期待している。 (川島直道報/隈府教会牧師〈代務〉)

 

新会堂にてクリスマス礼拝を祝う 由布院教会
 2016年の地震以来会堂の再建に取り組んできたが、ついに2017年11月に工事完了にて引渡しを受けた。新会堂で捧げる礼拝は、いろいろ不慣れなところがあって多少戸惑いもあったが、感謝に満たされた。クリスマスに間に合ったことを心から喜びつつ、教会員そして保育園の職員ともにクリスマスの準備に励んだ。

 12月16日には隣接の聖愛保育園のクリスマス祝会が行われた。たくさんの保護者の見守る中、子どもたちが元気いっぱい歌や踊りやページェントを披露した。立ち見の方もいたが、新会堂は明るくて快適である、と好評だった。

 12月24日は、クリスマス礼拝を祝った。隠退教師の佐藤孝義先生に説教・聖餐の奉仕をしてもらった。力強い説教の言葉に会堂建築の労が癒された。新会堂で初めての聖餐の恵みを味わう幸いを得ることができた。

 その日の夜に、クリスマス・イブ燭火礼拝を祝った。教会員・保育園の職員に加えて町の人たちの参加があった。おごそかな雰囲気に満たされて御子の誕生の喜びをともにすることができた。

 その翌日25日には、教会学校クリスマス会が行われた。大人と子ども合わせて109名の参加者が与えられた。聖愛保育園の卒園児、地元の児童クラブの小学生たちが参加した。子どもたちといっしょに礼拝を捧げた後、ゲームを楽しんだ。みな満足そうな様子で帰っていった。

 一昨年、2016年のクリスマスは、保育園の一室や地元の社協の会議室を間借りして行った。それと比べて、新会堂で過ごすことのできた今年のクリスマスは、やはり充実していたと感じられる。ここまで来るのは大変であったが、これも、神様の導きと、皆様の祈りと多大な支援のおかげである。心から感謝するものである。
(黒田恭介報/由布院教会牧師)

【4875号】教区議長会議 教区議長が集い日本伝道について話し合う

 12月11~12日、ハートピア熱海にて、今総会期第2回目の教区議長会議を開催した。出席者は、教団三役・16教区議長(沖縄教区議長は欠席)で、教団伝道対策検討委員3名、予算決算委員長、教団幹事4名が陪席した。

 これは、6月の第1回教区議長会議に続き、各教区での伝道の取組みを互いに聞き合い、それぞれの現状と課題を共有することを目的として開催したものである。

 開会礼拝(石橋秀雄議長)の後、伝道対策検討委員会報告として、同委員会の検討内容について雲然俊美書記、同委員会が設置した教団機構・財政検討小委員会での検討内容について同小委員会の小西望書記が報告した。報告の後、教団における信仰の一致とは何か、伝道対策検討委員会で審議している伝道の概念とは何か、小規模教会に対してどのような支援をしようとしているのか等々の協議をした。

 その後、1日目の夜まで、各教区からの報告の時間をもった。各教区に対しては事前に、教区における伝道の取り組みと現状および課題と対応についての報告を依頼しており、出席した全教区より、資料による丁寧な報告がなされた。報告においては、教勢の低下や受洗者数の減少といった現状の中で、小規模教会を支える具体的な取り組みをしていること、教区としての宣教基本方針を立て、中長期的な見通しをもって教区運営を進めている教区がある一方、教区としての宣教基本方針を定めないで、自教区における多様な宣教の課題を担おうとしている教区があることなど、教区によって異なる様々な伝道の状況を聞き合った。

 2日目は、祈祷会の後、全体協議の時間をもった。協議においては、地方の町々が衰退している中での宣教のあり方、伝道資金の活用と課題、伝道ということで何をどのように伝えようとしているのか、献金運動ということにおいても教団がどの方向を向いているのかが問われている、教会・教区・教団の連携が大切である、少子高齢化・長寿社会における伝道のあり方等々、活発な話し合いがなされた。

 最後に閉会礼拝(佐々木美知夫副議長)をもって終了した。
(雲然俊美報)

【4875号】信仰職制委員会 「式文」改訂について協議

 第3回信仰職制委員会が、12月4~5日に教団会議室にて開催された。武田真治書記欠席のため、田邊由紀夫委員が書記を代行した。

 今回、当委員会に対して答申を求められた諮問はなかったが、道家紀一担当幹事から、「キリスト教教育主事の関係施設における位置・処遇について」と「在外教師の教区名簿の登録について」の問い合わせがあり、協議の上、委員会としての見解を答えた。

 続いて以下の研究課題に取り組んだ。

 ⑴「『現行教規、諸規則』の問題点について」—藤盛勇紀委員長より発題があり協議した。石橋秀雄教団議長に報告し、今後の取り扱いについて検討してもらうことにした。

 ⑵「式文改訂について」—この件を検討する前提として、『式文』(試用版Ⅰ、Ⅱ)の作成に携わった岡本知之前信仰職制委員会委員長に同席してもらい、試用版『礼拝式文』作成の経緯と教団における礼拝指針の位置づけについて、詳しく話を聞いた。質疑応答の上、協議して、以下の方向性を出した。①式文改訂に取り組むためには「礼拝指針」の研究が必須であるが、どこでどのようにしていくか今後検討していく。②礼拝式文の他にも重要な、信徒を生み出す「洗礼」式文、教師を立てていく「准允」「按手礼」の式文を整え、指針を出していくことが急務である。先ずはその研究に取り組んでいく。
(田邊由紀夫報)

【4875号】教区議長コラム 北海教区 「連帯」の宣教的意義

 北海教区の教会・伝道所の半数以上が会員数30名以下の「小規模教会」である。いずれも高齢化、会員減、若年層の不在、財政難に悩んでいる。

 しかし、教会が立つ街もまた高齢化、少子化、人口減、経済不振といった課題を抱えている。教会は、地域の課題を共に負って悩んでいるのだ。隣人と共に担う苦難を恥じることはない。胸をはって苦しもう。

 苦悩する地域に教会が証しできるメッセージは、「神は共におられる」ということだ。私たちは決して見捨てられてはいない。孤独ではない。孤立していない。ひとりではない。共におられる方がいる。そして共に生き、悩み、重荷と困難を分ちあう交わりがある。北海教区の諸教会がつちかってきた「連帯」の宣教的意義がそこにある。

 北海教区は長年にわたり「教職謝儀保障」を充実させて地方小規模教会にも牧師が定住できるよう祈り支えてきた。ところが近年はそれでも牧師招聘が困難で牧師のいない教会が増えている。無牧師教会は代務者をおく必要があるが、代務をつとめてくれる牧師さえ近隣には見あたらないケースも出てきた。

 今年度、北海教区では新たに「主任担任教師不在の教会の礼拝を支える」しくみが発足した。牧師のいない教会が遠方から説教者を迎える経費、代務者への謝礼、さらに、牧師が他教会の代務の働きのために不在となる際に他の説教者を迎える経費を教区が支援するようにした。

 この新たな支援が提起され、諸教会で審議する過程でも、支援への消極的・懐疑的意見はほとんど聞かれなかった。

 「倒れるときはみんな一緒」という北海教区の「格言」がある。それほどまでの絆と愛とが具体的に示されることが、地域の希望ともなるのだ。 (久世そらち 北海教区議長)

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