【4886・87号】mission21 International Youth Ambassador Programに参加して

 1815年に開始したスイスの宣教団体「mission21」は、2年前から青年プロジェクトを開始し、青年を関係教団へ派遣しました。今回は逆に、世界中の関係教団から1名ずつ青年を招く国際青年大使プログラムが開催され、私も6月11日から24日にかけてスイスに行って参りました。

 プログラムの多くは、各国の青年たちと社会問題や国際的団結について議論して過ごしました。始めの一週間はmission21の総会へ陪席し、テーマである移民・難民問題についての世界中からの議論を聞きました。青年のうち2名のコーディネーターにはプレゼンテーションが任されました。

 翌週にはチームごとの派遣があり、アジアチームはドイツへ行きました。現地の青年や神学生との交流を通し、日本人として同じ敗戦国ドイツに遣わされた意義深さを感じました。EMSへも訪問の機会を得、宣教についてさらに考えました。

 今回学んだことの一つが、青年の主体性です。私たちは総会においてステートメント「私たちは今ある存在。未来のものだけじゃない。(We are present not only future.)」を発表しました。青年は被教育対象でも未来の存在だけでもなく、今を生きる主体的な存在だという意味です。それを証明してくれたのが、このプログラムを基本的に運営していた青年たちの主体的な奉仕でした。二つ目が宣教についてです。日本人としてアジアチームにいる時、またドイツにおいて、私は敗戦国であり宗主国でもあった日本をとても意識しました。ヨーロッパで宣教や国際協力が力強いことの背景にキリスト教の定着があります。しかし、ヨーロッパも植民地支配を行い、宣教もそれに利用されました。他国へ行って何かをするときに人間は傲慢や偏見の誘惑に遭います。それに打ち勝つには、聖書の持つ平等の思想と、受け与えるという関係だけではないエキュメニカルな団結の関係が重要であると思い、祈りつつ聖書の平和を希求していきたいと思いました。 (岸ひかり報/千葉本町教会員)

【4886・87号】伝道のともしび この地にある教会としての歩み 羽島 健司

 東日本大震災のまさにその時、足利東教会では牧師の交代のために会議をしていたそうです。教会の建物は、揺れの中でも充分持ちこたえましたが、壁の内側にははっきりとひびが入り、震災の痕を残しました。

 そのころ私自身はというと、婚約式の準備に向かうため、珍しくタクシーに乗って移動中でした。車のサスペンションで揺れがだいぶ吸収されたものの、それでも揺れが長く続き、運転手さんと一緒に「どこか遠くで、かなり大きい地震があったのではないか」と心配していたのを覚えています。

 次の日には何とか電車を乗り継ぎ、当時神学生として奉仕していた教会に行きましたが、その教会も足利東教会同様、内壁がひび割れていました。

 その後しばらく、輪番停電などで不安な日々が続きました。足利東教会の信徒の中には、時おり信号が点かない中で、以前から入院中だった家族に会うために、車で往復していた者もいたそうです。

 それから、韓国人である私の妻が、韓国のキリスト教系ラジオ局による、教団総会議長の石橋秀雄先生への電話インタビューをセッティングしました。その繋がりから、石橋先生に連れられて、被災地の支援にもうかがいました。

 私と妻は、2012年4月から、伝道師として足利東教会に赴任しましたが、会堂の内壁のひびや、町の所々にあった、ブルーシートで覆われた屋根に、震災の影響の大きさを感じました。

 その後、関東教区を通して、足利東教会も、会堂の内壁の修理のために、教団の支援を受けられることになりました。栃木地区内や関東教区内に、会堂を建て直さなければならない教会がいくつもありましたから、初めのうちは、支援してもらうことにためらいもありましたが、支援が決まってからは、足利東教会からの献金にも、より熱が入りました。

 震災を通して、月並みな言葉ですが、「互いに助け合うこと」の大切さを感じました。日本国内の諸教会ももちろんですが、妻の知人たちや、教区の記念礼拝を通して、韓国や台湾の諸教会も、日本の被害を覚えて、共に祈り合い、支え合ってくださっていることを、具体的に知りました。

 そして、御言葉を取り次ぐことを通して、互いに助け合う教会の姿は、新約聖書の時代から変わらなかったということも学びました。説教準備の過程で『キリスト教とローマ帝国』という本を読みましたが、そこでは、人口の3分の1が亡くなるような疫病流行の中で、最後まで踏みとどまって隣人の看護に当たったキリスト者の姿が記されていました。そのことを説教で話したところ、信徒の一人は「殉教はとてもできないが、いざという時に命がけで近所の人の面倒を見るくらいなら、できるのではないかと感じた」と感想を返してくれました。

 「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリント12・26)。この思いを与えてくださった神様に感謝します。
(関東教区・足利東教会牧師)

【4886・87号】▼在日韓国朝鮮人連帯特設委員会▲在日外国人の 子ども支援塾を訪問

 第5回在日韓国朝鮮人連帯特設委員会を6月28日、横浜指路教会で開催した。

 はじめに宮本義弘委員長より以下の2件の報告があった。①2月1~2日、北海道クリスチャンセンターで開催された外キ協(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト者連絡協議会) 全国集会に出席。②6月4日に第51回在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協力委員会に出席。

 協議事項は以下の通り。①8月16~18日、高知県南国市にある清和女子中高等学校で開催される全国キリスト教学校人権教育セミナーに宮本委員長を派遣する。②RAIK(在日韓国人問題研究所)所長の佐藤信行氏が退職、7月13日に感謝会が行われる。感謝会への出席については宮本委員長に一任する。

 委員会終了後、横浜市南区中村町にあるNPO法人在日外国人教育生活相談センター「信愛塾」を訪問した。大石文雄理事、福島周理事、竹川真理子センター長より信愛塾の働きについて聞いた。

 信愛塾は、1978年に在日外国人の子どもたちの学習支援から始まり、在日外国人と日本人が出会い交流し、共に支え合い、共に生きる社会をめざす具体的な場として成長してきた。また設立にあたってはクリスチャンの支援があった。現在は、子ども会、学力保障の場としての補習クラス、母語クラス、日本語クラスがある。また、在日外国人の子どもの保護者に対して教育・生活・人権等に関わる相談を行っている。

 当初は在日韓国朝鮮人の子どもが主だったが、今はほとんどおらず中国と東南アジアの方であると聞き、時代の変化を感じた。しかし、いつの時代でも信愛塾の働きは貴重であり、その役割は増々大きくなっていると感じた。信愛塾に関わる全ての人に神様の祝福を祈りたい。(豊川昭夫報)

【4886・87号】人ひととき 尾崎 七郎さん 神は万事を益として下さる

 20代に入ってすぐに肺結核を患い、結核療養所に入った。2年間の療養中に看護師として働いていた夫人との出会いが与えられ、アドバイスによって片肺の一部を切除、死を直感させられるような症状から回復し、数か月後に無事退院した。

 療養所内に野百合会という聖書研究会があり、そこに顔を出していたが、近永教会員である婦人の熱心な誘いによって教会へ通うようになった。会堂ができたのを機に洗礼を受け、以後近永教会の信徒として過ごす。結婚式も新会堂第1号であった。

 大病を患いながら、妻も仕事も家も信仰その他、全てが与えられた。神に従う者には万事を益としてくださる、そのことを共に喜びたい。

 病からの回復後、町役場に勤めた。仕事に夢中で礼拝がおろそかになった時期もあったが、「神が私の味方であって、誰が私に敵対できようか」(ローマ8・31)を信念に、正しいことのためには嫌われ役も引き受け、誠実に務めを果たした。役場勤めのおかげで、会議の進め方、予算の組み方、広報誌の書き方など、小さな教会でも大変に役立っている。

 退職後は親戚から任された畑で野菜を育てたり、今は引退したがクラリネットを演奏したり、グラウンドゴルフなどで体を動かしつつ、何よりも礼拝で御言葉を聴くことを楽しみとしている。今の時代、若い人たちへの伝道も大切だが、若い人よりも高齢者に、言い方は悪いが死ぬ前に神を知ってほしいと思う。教会学校も大切だが、地域的にも高齢者伝道に期待している。

 「とにかく説教が楽しみです。だからこそ、牧師には説教に専念してほしい。他のことは信徒がやります。牧師は忙しすぎませんか」。御言葉に生きる信徒の願い、祈りである。

1935年生まれ。愛媛・近永出身。7人兄弟の末っ子。近永教会員。

【4886・87号】誰も追い込まれることのない社会を

 今年、秋田いのちの電話は開局20周年を迎えた。超教派のキリスト者を中心として勉強会を始め、全国で44番目となる秋田いのちの電話を立ち上げ、緊張の内に最初の電話を受けたのが1998年3月末のことであった。この20年間で自殺(自死)に関わる諸事情は大きく変化した。何よりも自殺(自死)者数が大きく減少したことは本当に喜ばしいことである。しかし、自殺(自死)者がいなくなったわけではない。相談電話の受け付け件数も、連日、すべてを受け付けることができないほどの数である。また、自殺(自死)に対する意識や予防・対策といったことも大きく変わった。特に2007年に「自殺総合対策大綱」が策定され、そこに、「誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指す」と明記されたことは画期的なことであった。自殺(自死)は追い込まれた死であるということである。今日、病気、生活の困窮、人間関係の悩み、孤独などを抱え、生きづらさへと追い込まれている人が多くいる。私たちの社会は、そのような人たちを追い込んでいる社会なのである。

 主イエスは、「悪霊によって荒野に追いやられていた」(ルカ8・29新改訳)人のところへと出向いて行かれた。そのように、キリストの体なる教会も、この社会において追いやられ、追い込まれている人に福音を届ける働きを担うものでありたい。
(教団総会書記 雲然俊美)

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