【4573号】海外宣教を支え祈る 世界宣教協力委員会

第34総会期第一回世界宣教協力委員会が、去る二月四日、教団会議室において開催された。今期の委員は大宮溥、上内鏡子、木下宣世、小橋恵子、相良真彦、友川栄、村山盛芳の七名である。
まず委員会の組織がなされ、委員長に大宮溥、書記に木下宣世、実務委員に村山盛芳が選ばれた。
今期の委員の顔ぶれは新しく選ばれた人が多かったので、この委員会の役割や取扱う事項についての説明を受けながら十四項目にわたる報告を主として上田博子担当幹事より聞いた。
新委員の人たちは当委員会が多岐にわたる多くの事柄にたずさわっていることに改めて驚き、責任の重さを感じさせられた様子であった。
昼食後、協議に入り、まずスイス協約委員会の委員に鈴木重正、中道基夫、廣石望の三名を選び、台湾協約委員に大宮溥、村山盛芳、李孟哲の三名を選んだ。
その後、海外に派遣している宣教師の方々の辞任に伴う人事の件や、日本の任地に海外からの宣教師を受け入れる件等を協議した。
その中で特に覚えて祈ってもらいたいことは、サンパウロ福音教会に派遣されている小井沼國光宣教師が難病にかかられたことである。
そのため同師は昨年十一月に帰国され、検査を受けてこられた。
その他、以前からの引継ぎ事項である「常議員会よりの回付議案に関する件」(教団の世界宣教の姿勢に関する件)についても協議した。その結果、継続して作業を進めていくこととなった。
なお、今回の委員会には海外へ派遣された宣教師からの年度報告書が寄せられ、それぞれの宣教師の現地における働きの様子や生活ぶりがよくわかり有益であった。
委員会としては各委員が手分けしてこの年度報告書に対する返書を出すこととした。
最後に海外に派遣されている宣教師、海外から日本に派遣されている宣教師の働きに対し、神の導きを祈って閉会とした。
(木下宣世報)

【4573号】日・北米宣教協力六〇年の歩み 宣教の歴史に一つの区切り

このたび日・北米宣教協力会が解散することによって第二次大戦後の日本基督教団と北米諸教会との宣教協力の歴史が一つの区切りを迎えることとなった。
第二次大戦中の日本基督教団は国際的に孤立状態であり、政治的弾圧と戦災によって深く傷ついていた。戦後間もなく米国の諸教会は交わりと援助を開始し、一九四七年四月、北米八教派は、合同教会としての日本基督教団と協力する意志を持って「基督教事業連合委員会」 Interboard Com-mittee on Christian Work  in  Japan(略称IBC)を組織した。会衆派基督教会、ディサイプルス教会、福音改革派教会、福音同胞教会、メソジスト教会、米国長老派教会、アメリカ改革派教会、カナダ合同教会である。
これに対応して日本側では翌年二月に、日本基督教団、日本基督教教育同盟(後にIBC関係学校協議会となる)とIBCとで「内外協力会」Council of Cooperation(略称CoC)を発足させ、一九五二年には日本基督教社会事業同盟がこれに加わった。
それから十余年の間、IBCはCoCを通して、日本における教会とキリスト教学校、社会事業の戦後の復興とエキュメニカルな交わりと宣教に、実に大きな貢献をしてきた。
建築支援、宣教師派遣、海外留学生の受け入れ、宣教のスペシャル・プロジェクトの推進等、戦後の基督教の大きな進展にIBCが果たした役割はまことに大きいものがあった。
しかし一九五〇年代の終わりごろ、日本の教会が立ち直り、またエキュメニカルな教会関係において対等なパートナーシップが自覚されるようになり、そこから内外協力のあり方、宣教師の働らき、協力資金等についての見直しが始まった。特に日本宣教における教団の経済的自立と宣教協力の相互性が求められるようになった。更に一九七〇年代の教団紛争は内外協力会の潤活な運営を妨げた。
このような情況から一九七三年にIBCは、日本基督教団をもその正式構成員とする「日・北米宣教協力会」 Japan North  American  Commission  on Co-operative Mission(略称JNAC)へと発展解消した。その後の加盟もあって、最終段階ではその構成員は、合同メソジスト教会、米国長老教会、アメリカ改革派教会、基督教会(ディサイプルス)と米国合同教会(この二つは海外宣教局を合同)、カナダ合同教会、カナダ長老教会、日本基督教団、在日大韓基督教会となっていた。日本基督教団の場合は、これまでの歴史的経緯もあってCoC(現在は教団とCoC関係学校協議会と日本キリスト教社会事業同盟によって構成)が直接の窓口となっていた。
JNACの三十年の歩みは、宣教師派遣を中心とする内外宣教協力と、指紋押捺、沖縄基地、女性の連帯等、人権や環境問題への取り組みの協同などに大きな働きをしてきた。
今後はJNACの枠組みは、執行機関ではなく諮問機構となるので、教団としては、北米各教派と一対一の教会的宣教協力関係を築いてゆくことになる。世界宣教の一翼を担うものとしてよい形成がなされるように願うものである。
(世界宣教協力委員会 大宮 溥報)

【4573号】世界宣教の幻は止まず JNAC最終総会開かれる

日・北米宣教協力会(JNAC)の最終総会が一月二四~二五日に米国ケンタッキー州ルイビルの米国長老教会本部で開催された。参加者は、北米各ボードから二名ずつの一二名。日本側は六名。ゲスト四名、通訳三名、スタッフ三名、の計二八名であった。教団/CoCからは山北宣久議長、竹前昇総幹事、久世了CoC議長、上田博子CoC総幹事が出席した。
総会は山北議長の「聖霊による導き」と題する英語による説教と司式、崔正剛在日大韓基督教会(KCCJ)総会長の祝祷による開会礼拝を持って始められた。協議はJNAC元コーディネーターのパット・パターソン氏の「JNACの宣教協力についての歴史的回顧」のレポートの発表から始められた。
パターソン氏は「一九七三年から三二年間JNACは多教派間の宣教協力のモデルであり、KCCJと教団の関係もJNACを通して深められ、また、人権問題、環境問題、沖縄の基地問題、女性の連帯等に取り組み、一定の成果を上げた。宣教師を含めた人事交流で共に神の国の宣教の業を担い合うことを学んだ」とJNACを高く評価した。そして、JNACは解散するが、時代にあった新しい形の共同体と協力体制を設立してほしいと結んだ。
解散に関する報告、会計報告に続き、JNAC解散の正式決議が可決された。解散の条件になっている在日本インターボード宣教師社団の定款の変更許可が文化庁から出ていないので、許可が下りた日を持って解散が有効となるという文言を付加しての決議書の作成となった。また解散公告も翻訳されて発表されることになった。
JNACの古文書についても協議された。この文書はJNAC関係だけでなく、JNACの前身であるIBC(基督教事業連合委員会)の関係文書も含まれている。日本と北米に保存されているこれらの文書は、教団/CoCとUMC(合同メソジスト教会)がそれぞれ責任を持って保管することが決定された。
解散後、JNACのメンバーで宣教協力の一環としてフォーラムが開催されることが前回の総会で決定されており、今回は、第一回を日本で開催することと、予算が可決された。さらにKCCJとの共同提案という形で、山北議長がフォーラムの具体的な内容の提案と主旨の説明をした。二〇〇六年または二〇〇七年の初めに同フォーラムを開催することが了承され、KCCJと教団で協議をして準備をすることとなった。
JNAC解散後は、KCCJと教団は北米各教会と個別に対応していくことになる。教団としては、北米各教会と宣教協約、宣教合意書、宣教覚書等何らかの文書を交換したいと山北議長が協議の中で提案した。今後教団は、北米各教会と折衝を重ねていくこととなる。
第一日の夜は宿泊ホテルで夕食会が持たれ、今総会のホスト教会である米国長老教会からも多数の関係者を迎えた。ゲストのパターソン氏、ボブ・ノーサップ氏(元コーディネーター)ヒロシ・ジョー氏、トニー・カーター氏(元在日会計)からJNACの忘れえぬ貴重な楽しいエピソードが語られた。
また、退任するスタッフへの献身的な働きに対する感謝が述べられ記念品が贈られた。そして、北米各教会には、KCCJと教団から日本語(英訳付き)の感謝状と記念品が両教会の総会長と議長から贈呈された。
教団はJNACの解散に伴い、CoCとの関係を今後どの様にしていくかが大きな課題となった。教団/CoCの関係は、わかりにくくなっており、北米側の理解を得にくい構造となっている。
JNACは二〇〇五年一月二五日、久世JNAC議長の挨拶、閉会礼拝のジョン・リーRCA宣教プログラム幹事の説教、ウィル・ブラウンPCUSA世界宣教局副ディレクター司式による聖餐式、上田博子CoC総幹事の祝祷をもってその歴史を閉じた。

【4573号】荒野の声

▼地震の被災地を豪雪が襲っている。新聞テレビで見ても、凄まじいばかりだ。▼初任地の教会は大通りに面していた。早朝ブルドーザーが走り、路面が見える程きれいに除雪される。その分、教会の玄関には、時に高さ二mの雪の壁ができる。朝六時頃、かちかちに凍り付いた雪に、スコップ時にはツルハシで向かい合う。九時からの教会学校に間に合わないくらい暇取ることさえあった。大雪が降るたびに、この繰り返し。▼雪について事実ありのまま記したら、大法螺或いは被害妄想と受け止められるだろう。出典不明だがこんな話を聞いた。「立ち小便するなかれ、この下に高田の町あり」。町全体が全く雪に埋もれているという意味だ。▼雪国の子供はそれでも雪が大好き、秋が深まると初雪を待つ毎日。田畑が清々しい雪に覆われると、寒さも忘れて心弾む。大人だって同じだ。今よりずっと雪が多かった江戸時代の『北越雪譜』、舞台は地震被災地域に重なる。豪雪に苦しみながらも、なんと雪を愛していることか。日本一と名高い米を初め多くの恵みも、雪がもたらしたもの。

【4573号】メッセージ

マルコによる福音書 八章三一~三八節

手をかけさせない神 古屋博規

イースターを前にしたレントの季節を迎えました。私たちは今、悔い改めと和解とを得て、共に聖餐に与るために、信仰への入門・再入門に備え、全ての者が原点に向き合うように導かれています。古代教会の人々は、四〇日間の修練(レント)の期間に、悔い改め・断食・祈りをもってこの時を迎えたと言われます。

執り成し

「人生は失敗と見ゆる処にて成功する。私が成ろうと熱望したのに成り得なかったそのことが私を慰める」(ロバート・ブラウニング)。この詩は、物事は成功だけでは判断できないことを教えてくれます。愛せる者を愛するということは簡単ですが、愛せない者を愛するという難しさを問われていることにも通じるような気がします。人間の営みの中に起こってくる様々な人間の振る舞いにも、神様は私たちと共にいまし、イエスの執り成される業を通して、私たちを原点に立ち返らせて下さることを覚えます。

手をかけさせない神

H・ナウエンは「傷ついた癒し人」の中で、「イエスは、健康と解放と新しい生への道を開くために、自分の身体を引き裂いて与えることにより、この物語に新しい豊かさをも与えられた」と言います。私たちに降りかかってくる、疎外・離別・孤立・孤独という、人間の傷のなかで最も苦痛なものが、驚くことに自らを傷つけている場合があります。この自分の痛みや苦痛が受け入れられ理解されたなら、自己否定はもはや不必要となるのですが、主イエスの受難と、復活の告知がもたらしたペトロの信仰をみてみますと、「あなたは、メシアです」(二九節)というペトロの姿勢が出て来ます。「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」(ローマ一〇章一〇節)と言われるとおり、確かに、ペトロは主イエスをキリストと告白しました。ところが、主イエスが、人の子の受難をしめすことで、ペトロの思いはがらりと変化します。せっかくイエスを主と告白しつつも、舌の根も乾かないうちにイエスを脇へと引き寄せてしまう様が伺えます。そんな変わりやすい、移ろいやすい人間であるにもかかわらず、顧みて下さる方がいるのです。「そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは」(詩編八編五節)
「それからイエスは、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(マルコ八章三一節)と弟子たちに教え始められると、ペトロは、イエスを、自分の方に引き寄せ、疎外されているかのように痛みを示して否定の意志を示します。彼は、イエスはキリストと告白したものの、キリストの栄光の場面だけを考えて受難を望まなかったのです。それにも増して、ペトロは、イエスの教えに反抗して自己主張をしました。イエスの受難は、イエスとペトロの間の私的な事柄ではなく、すべての人に関わる公的な重要問題です。神の御心に敵対し、神の計画から人を誘惑に誘い、苦しめ、殺そうとしているペトロを、イエスは、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(三三節)と指摘して、ペトロに手をかけさせようとはしませんでした。

だからこそ

キリストに従うということは、生涯、イエスは主である、と告白し続ける事であります。イエスは、「わたしに従いなさい」(三四節)と、イエスに従うよう繰り返されます。自分が捨てられますか?と問われたなら、それは、禁欲主義的な否定ではなく、自己執着、自己信頼、自己追求などの自己目的化する思いを越えて、神に聴き、尊び、求め仕えることを積極的に目指すことだと言えるでしょう。私たちは、人には言えない苦悩や、弱さ、不完全さを持っています。それ故、自分は誤った生き方をしてはならない存在であると意識してしまいます。だからこそ、自分の十字架を背負って、キリストに従うためにあらゆる犠牲をもいとわないで、自分を捨てよと、イエスは自己中心性を厳しく否定されます。手をかけさせないとは、神の思いを越えないで、人の思いにとらわれないことです。それは、本当に、なかなか出来ることではなく、自分を愛するが故に難しい時が多々あります。
キェルケゴールは「死に至る病」の中で、死そのものが絶望ではなく、自分ではどうすることも出来ない淵に、陥ってしまうことが絶望だと言いました。絶望する時、自分を否定することが起こります。自分が自分であることがいやになり、ついには自殺までへと追い込まれ、人は手をかけてしまうのです。自分をもっと大きくしよう、自分を前に出そうと、他人を押しのけ、自分が絶望していることにも気がつかないで、自分自身の中で絶望に至ってしまいます。ペトロは、自分や周りに無関心となり、イエスを引き寄せ自分を大きく見せようとしたのです。主イエスは、そんなペトロにしっかりと向き合い「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(三四節)と応えておられます。「自分の十字架を背負う」と言うことは、自分の中にある醜さやいたらなさ、弱さ、欠け、破れを恥ずかしいことと思わないで、それを表に出して、ある時にはそのことを誇りにしながら歩いて行くことだと思います。神さまから与えられた現実から、逃げることなく、「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇って」(Ⅱコリント一二章九節)歩くことだということです。

にもかかわらず

先日の教師研修会の折り、年輩の先生方が、ご自分の伝道牧会のあしあとを振り返り、「あと○○年したら退かせていただきたい」と、後進の者たちに伝えておられました。無牧化しつつある地方教会の宣教、絶望しそうになる牧師の抱えている宣教のフィールド、都会のドーナツ化現象、これらの課題にどう向きあったら良いのでしょうか。実は、主イエスが弟子であるペトロに語りかけたことは、現代の宣教を担って行こうとする牧者への語りかけの様にも聞こえます。「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(三四節)というイエスの言葉に、実際の私たちの現実は、従いきれず、手をかけようと自分に執着してしまう姿を隠せません。にもかかわらず、主は、私に向かって振り返り、手をかけさせまいと、「振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われ」(三三節)イエス・キリストの十字架のもとへと、私を引き戻して下さるのです。
(小石川白山教会牧師)

 

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