【4576号】宣教協約改訂20周年に当たり 重要課題に取組む台湾協約委員会

第34総会期第一回台湾協約委員会は、三月七日に日本キリスト教会館五階CoC会議室で行われた。
二月四日に開催された今総会期第一回世界宣教協力委員会で選任された、大宮溥氏、李孟哲氏、村山盛芳氏の委員全員が出席、互選によって委員長に大宮氏、書記に村山氏を選出した。
前総会期に台湾協約委員会が、常議員会の下にある委員会から世界宣教協力委員会の内にある委員会に変更になったことにつき、台湾基督長老教会側の理解を得るのに時間がかかり、前回の「日本基督教団と台湾基督長老教会との協約協議会」において認知された後ようやく活動することが出来たが、今期は直ちに組織できたことは感謝である。
今総会期は第十回の「教会協議会」が日本で開催されるため、その準備が重要課題のひとつである。十一月に東京で開催することを台湾基督長老教会側に打診することが決定された。場所は東京付近で、今年は「日本基督教団と台湾基督長老教会との宣教協約」が改定されて二十周年にあたるため、これまでの歩みの評価と将来に対するチャレンジについて協議をする予定である。詳細については、六月中に各教区に送られる要項をご覧いただき、祈って参加者を送り出していただきたいと願っている。
また、今年は台湾基督長老教会の宣教開始百四十周年記念の年であり、六月から夏にかけて多くの行事が予定されている。六月五日には記念式典が開催される。中華人民共和国との関係が微妙なこの時期、台湾基督長老教会の働きが今後も祝福され、平和の器として用いられることをお祈りいただきたい。六月末から七月にかけて三つの青年交流プログラムが台湾でもたれるので、積極的に青年を送り出したいと委員会は願っている。詳細は教団新報などに掲載されるので、ご覧いただきたい。
教団に属する台湾教会の負担金問題も、西東京教区所属の教会以外は未解決で、早急な対応が必要であること、北海教区に派遣される台湾からの宣教師に関しては、まもなく候補者が決定されるとの報告がなされた。
(村山盛芳報)

【4576号】荒野の声

▼フリージア、沖永良部百合、ミニチューリップ、匂い水仙。イースターの朝、いろんな球根類からたくさんの芽が出ていた。複雑な思いをもって、それを眺めた。▼去年の秋、体調を崩して、球根類の植え付けができなかった。夏に掘り上げ、日陰にしまっておいたものは、ほとんどを駄目にしてしまった。二〇年来の、大切な人の思い出が残る百合までも。にも拘わらず、植え替えの手間さえ惜しんだ、捨てられた、忘れられた草花が、芽を吹いている。▼一体どんな花を咲かせるのか。今年は花を持たないかも知れない。しかし、肥料も水もたっぷりと施り、夏には堀り上げて軒下に吊してやろう。秋には一番日当たりの良い窓辺の花壇を良く耕し、草木を焼いた灰をたっぷりと混ぜてから植え付けよう。▼イースターの翌日、埋骨式を執行した。一コリント15章を朗読する。ここ数ヶ月の間に、何度この箇所を読んだことか。その度に思う。この悲しい業が、神の国の花園に球根を植える業であって欲しいと。そして悔やむ、もっときめ細かい牧会ができたのではないかと。

【4576号】メッセージ

ヨハネによる福音書 二一章一~一四節

何か、食べる物があるか ジョイス・マギー

イエスのアンコール

ヨハネの福音書の二一章のところでは、イエス様がアンコールをします。友人との再会の場面です。
私たちはよく、すばらしいコンサートの後、感動した聴衆がミュージシャンを呼び戻す光景を見ます。するとたいてい、以前より親しみやすい、楽しい音楽を聞かせてもらえます。心と心が響き合うような親密な雰囲気に浸ることができます。それは正に新しいメッセージを伝えているように思われます。
ここでイエス様が弟子の前に現れたことが、同じような感じです。イエス様は夜の海から疲れきって帰ってきた友人たちのために朝食を用意するのです。ペトロは岸に立つイエス様を見ると、波の中に飛び込み、泳いでイエス様に会いに行きますが、これは音楽のアンコールと同様で、新しいエネルギーが突然満ち溢れたに違いありません。弟子たちはイエス様の言葉に従って、期待に胸ふくらませ、網をもう一度海に投げると、信じられないほどたくさんの魚を獲ることができました。
「何か食べ物があるか」とイエス様が個人的な質問をされ、大事な食べ物のことを持ち出されたのは、正に親密さを表されたことにならないでしょうか。
彼らにとっての魚とは、彼らの食べ物であり、彼らの仕事でもあるのです。魚が獲れないことは、飢えにも精神的な失望にも繋がります。イエス様は弟子たちが苦しい生活に直面することを知ってらっしゃいました。聖書ではPTSD(精神的苦痛、圧迫、無秩序)という言葉を使っていませんが、確実に彼らは衝撃を受けていたのです。以前の仕事である漁師に戻ろうと決め、普通の生活に戻る試みをしていたのです。
彼らが絶望していた時、イエス様は元の姿に戻って彼らの前に現れました。これは特筆すべき非常に大切な章であります。それは(出エジプト記3・6、6・7、 19・9)で神が使われた言葉に繋がってきます。神はアダムとイブと共に歩みました。神は自らを顕し、イスラエルとの出会いを創り出したのです。
イエス様も同様に自分自身の本質を私たちに知らせます。このフレーズでヨハネはイエス様が神であることを主張しています。
私たちは復活したキリストが王や全能の神として顕れることを期待しますが、決してそうではありません。イエス様は手厚くもてなすために使徒のところにやってきます。そのイエス様の友人たちは飢え、疲労し、失望しています。
イエス様は、火を起こし、魚の焼けたすばらしい匂いと一緒にそこに顕れます。これは彼らの生涯で最良の朝食であったに違いありません。イエス様は彼らにいかなる要求もしませんでした。彼らが逃げたり、物陰に隠れても叱りませんでした。宴に招待し、食事を用意さえしたのです。招待して、釣ったばかりの新鮮な魚を分け合って、彼らの価値観と自尊心を回復させたのです。

船員さんたちのため

夫と私にとって、この話はまた別の意味を持っているのです。というのも、この二〇年近く、私たちは海上で荷物を輸送する仕事に携わる船員たちと深く関わってきたからです。船員は海を渡って国から国へ物資を輸送する仕事で、それによってもたらされる多くの産物により、我々の日常生活は非常に裕福となり、生活レベルも高まってきました。スーパーマーケットにはおいしそうな食べ物が満ち溢れています。船がフルーツや野菜、穀物、肉、魚や異国の食品を運んでいるからです。彼らはまた木材や石、機械類、石油など我々が安楽に文明生活を楽しむのに必要な物資や、普段気付かない日常品などを輸送しているのです。
大きな船が、多くの場合男性ですが、ほとんど一年も家族と離れ、しばしば危険で孤独な環境の中で生活している人々によって動かされていることにまで注意をむけている人が世界中に何人いるでしょうか。海上での個人の時間は非常に制限され、ほとんどないに等しい者もいます。家族と話をするのも遠く離れた港から、時には数カ月に一度、テレホンカードを買えた時の何分かを確保できる程度です。
イエスの友人たちへの有り様は、わたしの街に入港する船員さんへの有り様をわたしに示唆してくれています。彼らは時に弟子がそうであったように、海上生活に失望している。彼らには浜辺での朝食は必要ではないが、交わりの場であるシーフェアラーズ(船員)・センターでの友好的な出会いは必要です。お茶やビールを飲んだり、自分の家にいるような雰囲気の中で会話を楽しんでいます。家族とコンタクトを取るために、コンピューターや電話を使っています。ときどき誰かと一緒に祈りたいと頼まれます。多くの船員は冷たい荒海に直面するとき、気持ちを落ち着けるための勇気づけの言葉を必要としているのです。
我々の場合、船員たちは漁師ではありません。しかし、世界中の多くの港では、漁師たちが、人道的な法律規制もない、非常に残酷で、訓練されてない産業に従事しています。世界の貧しい階級の人たちは船倉にいっぱいに押し込まれていたのです。そして、魚は市場に出され、金持ちの特権階級の人々に供されているのです。漁師たちは家族の元にめったに帰れず、報酬もほとんどなく奴隷のように働かされているのです。

エキュメニカル奉仕

シーフェアラーズ・センターは、入港した人たちと関わっていくため(ヘブライ人への手紙13・1~2)協賛した苫小牧市の五つの教会のプロジェクトです。
イエス様が、必要としている人々に一杯の水を与えるように、私たちに頼んだのです。私たちは自分たちが用意できる簡単なことを船員さんたちのためにしているのです。レクリエーションの場や電話設備、そして夕方の憩いの時間を提供しています。我々はまた港と街が遠く離れているため、船員さんたちが街にいくためのバスを用意しなければなりません。
彼らの話を一緒に聞き、分かち合うことが、彼らの尊厳を取り戻すきっかけをつくることになっているのだと思います。喜びや悲しみに耳を傾け、彼らのギターに合わせて一緒に歌を歌う。多くの船員さんたちが何回もここにやってきて、私たちと親しくなっています。彼らは私たちの港に家庭の温かさを見出しているように感じています。
ヨハネ二一章はイエス様がペトロに「わたしの小羊を養いなさい」というよく知られた話に続いています。イエス様はペトロをほかの人々を助ける仕事に送ります。ペトロはもはや悲しんでもいられず、人々を助けるために旅立つことになります。
この言葉は私たちへのメッセージでもありましょう。イエス様が身体的な飢えや感情的な傷や精神的な空虚感を癒したとき、そのようにすれば良いのだという例をお示しになっていたのです。彼らに魚を獲らせたときも、やはり、他者の必要に応じた奉仕をするようにという例をお示しになったのでした。
(宣教師 北海教区・苫小牧地区)

【4575号】みんなともだち

「こんにちは」と言いつつ五人の子ども達が園長室にやってくる。毎年春になると、卒業する子ども達と園長が会食するのである。「Aちゃんも来たよ」と言いつつ、女の子がAちゃんをソファーに座らせている。Aちゃんが座ると隣の男の子がAちゃんのカバンからお弁当を出してあげる。用意が出来たので、感謝のお祈りをして食べ始めるのであった。子ども達はいつもと違う園長室でのお弁当で、なんとなく興奮している。おしゃべりばかりしてお弁当が進まない。それでいてAちゃんには食べることを促すのであった。
幼稚園には障がい児が七人おり、共に園生活をしている。園児達はこれらの子ども達を自然に受け止めており、いつも二、三人の親衛隊がいて、何かと世話をしてあげているのである。ある時、転園してきた子どもが、障がい児をみて思わず「ヤーダ」と言った。その子は初めて接したのである。しかし、その後園生活をしているうちに、彼も親衛隊の一人になっていった。統合教育の深い恵みを示めされるのであった。
障がい児が一緒だという理由で入園を敬遠する保護者が多い。キリスト教主義の幼稚園は園児数も少なく、経営には頭を痛めながらも、しかし統合教育を推進しているのである。教団には全国教会幼稚園連絡会という組織があり、孤軍奮闘する教会幼稚園が連絡を取り、学習をし、使命を深めている。分け隔てせず、共に生きる子ども達の成長を祝福したい。
(教団総会書記 鈴木伸治)

【4575号】人ひととき 及川美穂子さん

キリスト教保育者として立てられて

美穂子さんは、今年、キリスト教保育者として立てられて六〇年を迎える。
美穂子さんは、はじめから保育者を目指したわけではなかった。文学、特に国文学に魅せられて青山学院の文科に進んだ。しかし、戦争末期の学校では学問を学ぶことは能わなかった。軍事工場、農家での勤労奉仕に明け暮れた。八月一五日が過ぎて、九月にわずかばかりの補習があって卒業ということに。母の故郷に帰省していた折、岩手・水沢教会の保育園での働きの道が開かれた。
保育を専門には学んでいない。試行錯誤のスタートだった。二〇名弱の子供たちを一人で保育した。終戦直後の混乱期、食料面でも、衛生面でも課題が多かった。けれども、美穂子さんには体に染み付いたキリスト教、そしてこの信仰に根ざした保育があった。父、佐野源一郎牧師の転任に伴い、結婚までに四つの教会を経験した。磐井クリスチャン教会、目黒クリスチャン教会、奥沢教会、水沢教会。美穂子さん自身は、目黒クリスチャン教会で幼稚園入園を迎える。また奥沢教会では、日曜学校を通して教会に多く集っていた青年たちから良い感化を受けた。そのような幼児期、少女期のキリスト者との触れ合いが、美穂子さんの保育者としての土台を築いた。水沢教会では、生涯の伴侶となる泰夫氏との出会いがあった。泰夫氏の三鷹・相愛教会着任とともに美穂子さんの武蔵野の地での生活がはじまり、以来五〇数年をこの地で過ごすことになる。
美穂子さんが幼稚園教諭として最初に就任した相愛幼稚園も、後に転任した三鷹小鳩幼稚園も、所謂、教会付属ではない。伝道という面では難しさもあった。しかし、園児が祈りを覚えてくれるのは大切なことと思ってきたと美穂子さんは言う。子供たちの祈りを書き留めた母親たちのメモをうれしそうに見せてくれた。園長を務める幼稚園は創立五〇周年を迎える。

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