【4577・78号】通知

ANNOUNCEMENT(通知)
March 31, 2005

To whom it may concern,

We are writing to inform you of the official dissolution of the Japan-North American Commission on Cooperative Mission.

JNAC has served both the Japanese and North American churches well for 33 years. However, with the recent decrease in the number of missionaries serving in Japan, the rising cost of maintaining staff, the limited funds available and the desire to do cooperative mission in a new, more flexible way, the member organizations came to the difficult decision to dissolve JNAC. The final decision was made at a special general meeting of all JNAC members, held at the PCUSA Center in Louisville, Kentucky on January 24 and 25, 2005. The decision was unanimous.

We request that you inform all persons in your financial, legal or other departments, to whom this news is relevant.

Although JNAC is dissolved, we trust that your church/organization will remain committed to working together with the other former members of JNAC for the good of mission in Japan, North America and throughout Asia.

Yours sincerely,

Satoru Kuze, CoC Moderator
Nobuhisa Yamakita, Kyodan Moderator
Jungkang Choi, KCCJ Moderator
関 係 者 各 位

日・北米宣教協力会(JNAC)が正式に解散したことをお知らせいたします。

JNACは、33年間、日本と北米の両教会のためにその役割を担ってまいりました。しかしながら、近年、日本への派遣宣教師の減少、それを支えるスタッフの経費の増加、必要資金の不足、そして新しい、より柔軟な宣教協力の道を求めようとの切望等により、JNAC加盟教会はこの組織を解散することをやむなく決断いたしました。最終決議は、2005年1月24日〜25日に、北米ケンタッキー州ルイヴィルのPCUSA(米国長老教会)センターで開催されました全JNAC加盟教会による特別総会でなされ、満場一致をもって可決いたしました。

このJNACの正式解散につきまして、貴団体内部の関係部署へもお知らせ下さいますよう、お願い申し上げます。
JNACが解散いたしましても、貴教会/貴団体が引き続き、これまでのJNAC加盟教会、そしてかつての加盟教会と共に、日本、北米そしてアジア地域における宣教のためによき協力がなされることを祈って止みません。

2005年3月31日

CoC議長  久 世 了
教団議長   山北 宣久
KCCJ議長 崔 正 剛

【4577・78号】続けられる宣教師派遣-JNAC解散後も-

森田喜基(よしき)宣教師派遣式が、三月二三日に教団会議室で大宮溥世界宣教協力委員会委員長の説教、上田博子宣教幹事の司式により執り行われた。
森田宣教師は、米国カリフォルニア州バークレイ近郊のエル・セリートにある米国合同教会シカモア組合教会の日語部に、二〇〇一年に赴任した大門光歩宣教師の後任として、赴任する。森田宣教師は同志社大学大学院神学研究科卒業後、紅葉坂教会担任教師として奉仕した。
シカモア組合教会は、一九〇四年に数名の日本人留学生により創設され、昨年一〇〇周年を迎えた。また、十年前から、日本語と英語によるキリスト教主義幼稚園の働きが与えられ、豊かに祝されて、運営されている。同教会は一世紀にわたり、アメリカにある日系人教会として、また、アメリカで生き、教会に集う日本人・日系人としてアメリカの教会と共に歩むことを模索してきた。
派遣式では、大宮委員長がシカモア(いちじくぐわ)に登ってイエスを招き入れたザアカイの様にひらかれた牧会者となるように説き、また、日・北米の架け橋として若い伝道者を教団が派遣する幸いを語った。
森田宣教師は主の召しに答えて、カリフォルニア州に赴き、かの地で伝道、牧会に精一杯励みたいと語った。
派遣式後にもたれた茶話会では、森田宣教師の神奈川教区での活動、教団宣教研究所でのアルバイトの時のエピソードなどが多数語られた。
さらに、後援会の発足が準備されている報告がなされた。後援会は、異国で異なる文化の中で奉仕する宣教師にとり財政面だけではなく、精神的に大きな支えとなる。
本年、日・北米宣教協力会(JNAC)が解散し、北米教会との新しい関係構築が教団に求められている中、この様に変わらず宣教師を北米に派遣し続けることの意義は、甚だ大きいことを覚えたい。
同宣教師のこれまでの活動等が生かされ、働きが祝されるよう祈り、会を閉じた。

【4577・78号】「ともに宣教を担う教師」を目指して 教師委員会

第34総会期第二回教師委員会が三月二九日午後一時三〇分から三〇日午前十一時三〇分まで教団会議室において開催された。
今委員会の主な協議事項は、新任教師オリエンテーション開催に関しての準備であった。すでに開催期日を六月二七日~二九日の二泊三日とし、会場は天城山荘、主題は「教団の教師として宣教をともに担う」と決定されていたが、内容についての詳細な協議が行われた。
今回のプログラムにおいては、ゆったりした時間配分を心がけた。これは、これまでのオリエンテーションでは参加者が二泊三日の間、会場に缶詰状態になってしまうことを反省し、プログラムの中に休憩時間を明示し、二日目の午後には二時間を自由時間として会場周囲の自然に触れる案内を取り入れるなどの工夫をこらしてみた。昨年の研修会では、参加者が新任教師となって三ヶ月というこの時期、それぞれ持ち場での緊張感から研修会期間中に体調を崩してしまう者もあったことへの配慮でもある。
また、今回は、教団の全体像を、山北宣久教団議長から「教団の昨日、今日、明日」と題した講演を受け、小林眞副議長から、教憲九条を踏まえて「教師と教師制度」について発題を受ける。
更に、竹前昇総幹事から、教団の各委員会の説明を受け、教団の働きの全体像を参加者に理解をうながす。また現在教団が差別と人権に対して取り組んでいる、いくつかの具体的な取り組みを受け止めるというプログラムを組んでいる。
そして、参加者が元気にそれぞれの持ち場に戻っていくことを願って三日目には「牧会講話」と題して小島誠志牧師の講演を聞く計画である。
その他、今委員会で取り上げた議題は、「九州教区常置委員会からの提訴に関する件」「セクシュアルハラスメント防止対策の取り組みに関する件」「神学校問安に関する件」「無任所教師問題に関する件」であったが、それぞれこれからも継続して協議していくこととなる。
(宮本義弘報)

【4577・78号】「教会立神学校」について

前回の記事に出てくる「教会立神学校」について、かつて教会立神学校で教鞭を執っていたクレトケ教授に聞いた。
「私は長い間『東ベルリン語学学校寄宿舎』の講師だったことになっています。東ドイツでは国立大学神学部は出版も含めて活動停止となり、表だって神学校・神学部という看板を掲げることは許されなかったからです。そういう状態でしたが、内部では博士号を出し教授資格論文審査も西側と変わりなく行ってきました」。
「壁の崩壊と共に旧東側にも学問の自由が回復し、『告白教会』の伝統を汲む四つの教会立神学校は一九九〇年にベルリン大学に吸収されました」。
現在も国内には三つの教会立神学校があり、神学教育がなされている。

●ヴォルフ・クレトケ教授

昨年秋にベルリン・フンボルト大学を定年退官。都市部ベルリンにおけるキリスト者人口の減少を憂い、また「全信徒祭司性」の原則に基づいた伝道に関する論文を幾つも書いている。
現在はベルリンにて牧師の継続教育に協力しているほか近々説教集を出版する予定。

【4577・78号】ドイツにおける神学部と教会 バーデン領邦教会の場合(下)

神学研究と教会が必要

・神学の目的と教会

かつてマックス・ウェーバーは学問が「価値中立的」であり、「制度から自由」であることが必要であると言った(『職業としての学問』)。学問一般がこの性格規定にかなうかどうかについては、すでに長い議論がなされている。
ここでは議論を「神学」に絞って、大学でなされる神学研究と教会が必要とする神学との関係について、前回(四五七四号)に引き続きドイツ・バーデン領邦教会(ハイデルベルク)の例を取材した。
「学問の自由が第一であることは論を待ちません」とはヴェルカー教授(組織神学)。
「たとえばバルトも、『教会に仕える神学』ではなくて『教会を通じて世界に仕える神学』を謳いました。神学の目的は教会への奉仕には留まらないのです」。ただし、神学が教会において果たす役割が大きいことも強調する。「『牧師の神学嫌い』という傾向があって両者の関係に緊張をもたらしているならそれは問題です。
ハイデルベルク大学では昨年から、牧師の勉強会作りを促進するため、神学部としても協力することになりました。
昨年は『復活』、今年は『罪』をそれぞれテーマとして、二日間の研修を大学で行い、その後四~五人ごとに牧師による研究グループをつくり、ときおり神学教授が手助けする形で与えられたテーマを深めてもらうのです」。

・神学と牧師の学び

それにたいして、ハイデルベルク地区の地区長でもあるバウアー牧師(聖霊教会牧師)は、教会指導(教会政治)に当たるのは、教会の牧師であるという点を強調しつつ、次のように語る。
「教会本部からの大学への諮問も頻繁に行われています。教会は神学をおろそかにしてはなりません。諮問を受け入れ、活用する能力が牧師にあるのが大前提です。しかし、現実にはそのような教育環境が十分整っていないのではないかと思います。
私は第二試験(按手礼を受けるための試験)の委員ですが、受験者である牧師補に『文献の引き写しではだめだ』と言い続けています。暗記は得意でもきちんとそれを説明出来ない受験者がかなりいるのです」。
教授であるためにまず牧師でなければならないという主張を裏付ける例として、同牧師の博士号取得テーマであるバルトを引き合いに出してこう語る。
「彼は説教者としての行き詰まりから『神の言葉の神学』にたどり着きました。現在の神学教授ではメラー教授などのように牧会経験を持つ教授は圧倒的に少数です」。
しかし、「神学部での学び」と「牧師になるための学び」の関係理解は一様ではないようである。さらに何人かの牧師に取材を重ねる中で得た実感としては、両者の断絶を強調する牧師と連続を協調する牧師に分かれたことを紹介しておく。
また一九九九年にローマ・カトリック教会との間でなされた「信仰義認に関する共同宣言」のように教会主導でなされた動きに対して、神学部での評価が低いことを嘆く声も聞かれた。
そこで、再び神学教授に対してインタビューを試みた。シュヴィア教授(学部長)はこう語る。
「『神学を営む』という行為を、フォン・ラートは『知性を持って神を愛すること』と表現しました。『知性』と『愛』を切り離さないところに神学の真理性があるのではないでしょうか。神を愛するということは、実際、知性無しには不可能です。フォン・ラートはさらに、『私たちは教父と同じことを同じように言い続けることは出来ない』と言って、同じことを現代において言い続けるためには神学が要請されるのだと述べるのです。私は『神を愛しながら思考し、思考しながら愛する』と言いたいと思います」。
「だから、ここで学んで牧師を志す学生のうち、領邦教会と関わりを持たない自由教会の学生は確かに『神学を学ぶこと』と『牧師としての学び』は別のものになるかも知れませんが、バーデン領邦教会に奉職する学生にとってはその二つは連続したものです。たとえば私は新約学の教授としては「いかに釈義するか」を研究し、実践神学の教授としては「いかに説教するか」を研究しているのですが、この二つのつながりを常に意識しています。かなりの困難を伴うことも確かですが」。
「実践神学の教授の場合には牧師としての経験が必須になりますが、他の分野の場合でも牧師であることによって学校の宗教教育の経験が得られるなどのメリットもあります。事実上多数が按手を受領しています。
またハイデルベルクでは、実践神学の教授は領邦教会主催の牧師養成セミナー(牧師補が年に一度1ヶ月受講する)の講師にもなるため、他の分野とは違い招聘人事を行うときには教会に通知するだけではなく、合意が必要です」。

・分野横断的・学問横断的に

さてここで、少し角度を変えて、学際的な神学研究がどの程度なされているかについて聞いてみた。
「神学部の中における分野横断的な研究はハイデルベルク大学では盛んになされています。こういった研究に従事している教授として相当数を数え上げることが出来るのがハイデルベルクのよい伝統です。ドイツの神学は、四半世紀前には一つの領域にこだわっていた時期もありますが、そういった時期でも、たとえばブルトマンがハイデガーと関連づけながら神学を展開していました。その伝統はさらにバルト(『福音主義神学入門』)やシュライアーマッハー(『神学諸科解題』)などにさかのぼれると言えるでしょう。将来的に、さらにこれら学問横断的になされた神学が教会指導と摩擦や軋轢無く、さらに展開するとよいと思っています」。
それが可能になる秘訣はなんだろうかという質問を最後にしてみた。
その答えについて、他の学問にも通じることだろうがと前置きしつつ、「好奇心を持つ」ことだ、と教授は語った。
この答えを聞きつつ、神学教授ばかりでなく牧師が自分の好奇心を神学や牧会に対していかに向けるかが普遍的な課題になるだろうという感想を持った。
(上田 彰)

 

●ミヒャエル・ヴェルカー教授
モルトマン教授の下でバルトを学ぶ。アメリカ、中国、韓国で広く知られ、改革派の伝統に立ちつつ福音主義教会の神学を構築する神学者で学際的な関心も高い。
ホームページの紹介によれば論文数は250に達する。現在、教会の牧師試験委員。

●シュテファン・バウアー牧師
メラー教授の下で説教学を学び、牧師としては11年目。

●ヘルムート・シュヴィア教授
博士論文は新約聖書学、教授資格論文は実践神学で提出し、大学では両方を講じる。大学教会(ペトロ教会)にも携わっている。

●クリスティアン・メラー教授
説教学と牧会学を講じる。最近の関心は教会建設と礼拝学。邦訳あり。

●ゲルト・タイセン教授
ドイツで最も著名な新約学者の一人。学際的な関心(教育方法)を扱った『聖書への関心付け』といった本も執筆。邦訳書多数。

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