【4572号】インドの宣教と奉仕のために 三浦照男宣教師派遣式

三浦照男宣教師派遣式が一二月二七日に教団会議室で山北宣久議長の説教、上田博子宣教幹事の司式により執り行われた。
三浦照男氏は、インドのアラハバード農業大学継続教育学部の学部長として一〇月一日付で、すでに赴任しており、一時帰国中に派遣式が行われた。
前任者の牧野一穂、由紀子宣教師夫妻が九月三〇日に四〇余年に亘る宣教の業から退任した後を受けての赴任である。三浦氏は、フィリピン国立大学ロスパニョス校で農業教育を、また米国カンザス州立大学大学院で社会学を修め、アジア学院の副校長等を歴任している。現在インドでは、政府の方針により、キリスト教の宣教師という資格では事実上入国できない状態にあり、三浦氏の働きは北米やヨーロッパの教会からも注目されている。
派遣式では、山北議長がインドの教会がインドの宣教と奉仕のために最も必要としている働き人を、教団が送り出すことの出来る幸いを述べた。
派遣式後にもたれた茶話会では田村博後援会会長(田園調布教会牧師)を初めとする後援会メンバーが三浦宣教師を支援し続ける決意を語った。後援会活動はこの宣教の業に不可欠であり、さらに必要性が高まると思われる。
三浦氏は、牧野夫妻の後任として牧野夫妻と同じ働きをするのは、妻が日本に残ることもあり困難なことであるが、自らの力の限り与えられた勤めを果たしたい、と語った。
三浦宣教師の働きが祝されるよう、祈りたい。

【4572号】「部落解放の祈りの日」運動展開 部落解放センター運営委員会

第34総会期第一回部落解放センター運営委員会が教団会議室にて一月一一~一二日開催された。前教団部落解放センター主事の角樋平一さんが昨年九月二六日に逝去されてから最初の運営委員会ということもあり、はじめに皆で角樋さんを偲びつつ開会礼拝の時をもった。「部落解放・人間解放」のために全力を捧げ尽くされた角樋さんの遺志を継いでゆこうとする運営委員会の仲間たちにとって、新たな気持ちに立たされた委員会の始まりとなった。
委員会では、「教団部落解放基本方針」具体化の一つとして前総会期に決議した「部落解放の祈りの日」運動についての報告が各教区よりなされた。七月第二主日を「部落解放の祈りの日」として覚えながら様々な部落解放への取り組みがなされたこと、そして何よりも主日礼拝の中で部落解放を願う祈りがささげられたこと等々を知った。今年も七月第二主日を「部落解放の祈りの日」と定めて、昨年以上の多くの教会・伝道所でこの運動が展開されることを願っている。
また昨年一〇月の教団総会での解放劇上演が好評であったことが報告されたが、今年の夏には同劇が関西地区を会場にして再上演されることが決められた。
同宗連(同和問題に取り組む宗教教団連帯会議)より、二〇〇五~〇八年に副議長教団を、二〇〇九~一〇年には議長教団を引き受けてほしいとの依頼があり、この件についても協議した。経済的にも人的にも大変厳しいものがあるが、前向きに対処してゆくことを決議した。
更に二〇〇四年度活動募金の中間報告がなされたが、目標額達成には至らず、「解放センター活動献金のお願い」文を各教区へ送付することとした。全国からの更なる協力を願う次第である。
なお、今総会期の運営委員長には、東岡山治が留任、活動委員長に谷本一広、書記に早瀬和人が選任された。またセンター臨時主事代行として、東谷誠が二〇〇四年一一月より就任したことを確認。合わせて総幹事との話し合いの中で、今後新たに嘱託職員を採用することも確認している。
(早瀬和人報)

【4572号】担う課題を共有 教師委員会

第34総会期第一回教師委員会が一月二一日午後一時三〇分から七時まで教団会議室において開催された。
今委員会は、第34回総会で委員会の減員が可決されたことを受けて二名減の委員が招集された。委員は、軽込昇(招集者)、久山庫平、小宮山剛、田中かおる、松井睦、宮本義弘、吉武二郎の七名であった。
最初に委員会組織が行われ、委員長に軽込昇、書記に宮本義弘が選出された。
続いて、前委員会からの申し送り事項が確認され、教師委員会が取り扱い担う課題が新委員においても共有された。しかし、教師委員会が取り扱う事項は、教師養成、育成、研修、人事交流、戒規に関するものであるが、その具体的項目は二十項目以上にも亘る。前委員会でも多くの課題が取り扱うことすらできないでいた現状を受け止めざるを得ず、今委員会の課題の一つとなった。途中で竹前昇総幹事の挨拶を受け、経費削減などの課題を受け止めてほしいとの申し出があった。
主に協議したことは、新任教師オリエンテーション開催に関しての準備であった。開催期日を六月二七日~二九日の二泊三日とし、会場は天城山荘と決定した。会場に関しては、都心での開催希望が過去の参加者から寄せられていたが、主に経費面からの理由によって今回もこれまでと同会場に決定することとなった。
主題は「教団の教師として宣教をともに担う」とした。今回の参加者は百名近くなると予想されている。内容に関しては細部まで煮詰めることができず、次回の委員会で決定する。また、これまで教師委員会で発行していた「教団便覧」が将来は教団の責任で発行されるように準備がなされているが、今年度に関しては、内容を新たにしつつも教師委員会で発行することが確認された。 (宮本義弘報)

【4572号】三宅島伝道所の集い 避難指示解除を目前に

岐路を迎える避難島民の礼拝

礼拝と交わりの場

「やあ今日は」
「お元気でしたか」
こんな挨拶をかわしながら第一四回「三宅島伝道所の集い」が一月一五日の土曜日、三崎町教会において開かれた。二〇〇〇年九月二日の全島民避難以来この集いを持って今日に至っている。今回は二月一日の避難指示解除を目前にしての集いだ。
避難当初いくつかの教会を会場としたが、ここのところはずっと東京ドーム近くの三崎町教会を借用している。目下伝道所関係者は都区内各地の他に神奈川や埼玉といった広域に居住している。足の便のよい教会は有難く、またいつも温かなもてなしを頂き感謝をしている。
四年半前、三宅島雄山噴火に伴う避難に際して東京教区東支区は「三宅島雄山噴火被害救援委員会」を立ち上げ救援に当たることにした。教団社会委員会に依頼し義援金を呼びかけて頂く。これは三宅村や伝道所関係者に見舞金として届けられつつあり誠に感謝という他ない。
それから「救援委員会」が大事に考えたことは伝道所の兄姉に礼拝の場と交わりの場を確保するということだった。普段は最寄りの教会に出席することを勧めてきている。そして三~四ヶ月に一回は皆で一同に会し礼拝を守ることにした。このような困難な時、何よりも主なる神より慰めを頂き、み言葉を通して励ましを受けることが大切であると考えた。
説教には東支区内の牧師に順次願って来ている。土曜日午前一一時から開始されるが牧師方は謝礼無しで喜んでかけつけてくれている。出席者一同はそれぞれ豊かな賜物を持った先生方から命の糧を頂いて来た。また牧師方には三宅島の兄姉に親しくふれる機会、その困難さを理解して頂く折となっている。

焦りと恐れと悔しさ

司会には伝道所関係者で受洗した者が当るようにしている。
今回は田中正之兄(六〇)であった。兄は当初出来るかどうか心配を表明していた。ここのところよく眠れないからである。兄は食糧雑貨を扱うスーパーを経営していた。夫人、高校生を筆頭に三人の息子さん、母親の六人暮しであった。入居した都営住宅は大そう狭く二人分の布団で三人が眠るという具合であった。不慣れな環境・学校生活ということもあって一人の息子さんが心のバランスをくずしクリニックに通うことになる。
何とかもう少しゆとりのある住宅が欲しいということで村役場・都と折衝。ようやく別の都営住宅に移り住むことが出来た。一方、兄も遊んではいられない。職さがしのためにハローワーク通いを始める。年齢不問ということで申し込むがことごとく不採用。中高年の再就職の困難さを身をもって感じている。
島にはスーパーの店と住居が残っている。これまで何度か一時帰島の際に建物の片付けに当って来たが物は散乱しネズミの死体はありで、手のつけようがない。いっそのこと噴火で焼けてなくなれば世話ないが、なまじっか残ったものだからいつまでも建物のことが頭から吹っ切れない。
兄は帰島を断念している。建物の補修には莫大な費用が要る。返済する力はない。かつては三八〇〇人もいた島民もかなり少なくなり(現在三二〇〇人)商売の目途がたたない。子供たちの学校のこともある。母親喜久姉は体が弱く、今なお火山ガスの流れる島に帰ることは困難なことであったが昨年九月帰島を果すことなく天に召された。いつもにこにこしたよいお母さんであった。
今、避難解除を目前にして兄の心は揺れている。“焦りと恐れと悔しさ”を覚えている。帰りたくても帰れない。こちらにいても仕事がない。一体どうすればいいんだ。神さま何とかして下さい―。
このようなことで司会が出来るか危ぶまれた。しかし兄は落着いた声で司会を始めた。〝これまでのこの集いを通してどんなに慰め励まされたことか。帰島する者、残る者に神の導きがあるように。私たちを憐れんで下さい”と兄は祈りを捧げた。
私たちは兄の上に主の守りと支えを祈らざるを得ない。彼の弱さを通してキリストの力が宿るように祈る。第二コリント一二・九。
今回の説教は小岩教会・井上馨牧師に担当頂いた。師は第一コリント一・一〇以下に基づき「主にある一致の勧め」と題して語った。教会には主(ぬし)のようなものがいてはいけない。人間崇拝の集団であってはならずただ主キリストと父なる神をのみ崇むべきこと、礼拝を大切にして真の救いを伝える使命に進む、そこに主に在る一致のあることを師は示した。
伝道所は会員二人、他教会員六人、求道者二人、計一〇人の小さな群であるがいずれは教会となった場合のよい指針を説教は示してくれた。否、伝道所の段階から主に在る一致の絆をいよいよ深めていかなければならないことである。

互いの近況を語り合う

カタコンベの壁を思わせる小礼拝堂での礼拝を恵みの内に終えると三階に移動し昼食をとりながら互いの近況を語り合う。第二部「交わり」の今回の司会は救援委員会委員であり東支区長の米倉美佐男牧師が当った。以下にその要旨を記してみると……
鎌川文子姉は一番古い会員である。福島県で信仰に支えられ夫が島の人なので島に移り住み民宿を経営して来た。民生委員を長く勤め信望が厚い。噴火直後、神経の調子がくずれたが今はすっかり立ち直り、夫と姑と三人で帰島の準備をすすめている。
宮下雪子姉は三宅島伝道所が一九五五年に始まって以来の初穂である。ケアマネージャーをしていたがこちらでもお年寄りのために介護の仕事をしている。当面島には帰らず高齢者伝道を志している。
片寄一輝兄は整体師でこちらでもその仕事を続けている。当地でバイクに乗っていて重傷を負うがやがて信仰に導かれた。妻の玲子姉そして両親と共に残る予定。玲子姉は美容院を営んでいた。やはりこちらで受洗。二人とも目黒原町教会員。
田中正之兄については先に述べたが妻の恵美姉が共に出席。姉は週二回都立の看護学校の事務に当っている。二人とも神戸・山手教会員。
佐々木美代子姉は片方の足を不自由にしているがとても元気がいい。求道中。静かな島・三宅島への帰島を心待ちにしている。夫は漁師さん。
松尾純子姉は主人が三宅高校校長で島にいた時に噴火にあった。こちらに来ても伝道所を支えている。青梅教会員。
前回見えたが今回欠席の赤羽美江姉は島では養鶏を営んでいた。こちらでは福祉施設に勤務。当地で信仰に導かれた。帰島を待遠しく思っている。与野キリスト教会員。
同じく、今回欠席の井上けい子姉はひと足先に島に渡り電気関係の仕事をする夫を助け、島民の帰島の準備に当っている。求道中。
以上伝道所関係者一〇人の様子を伝えた。当日は他に救援委員七人、一般有志参加者五人、計二〇人であった。これまで大体二〇人前後の集まりで来ている。
今、伝道所は岐路を迎えている。帰島組と残留組とに分かれたからだ。残る人は本当は帰りたい。“瞼の三宅島”である。しかし帰れない事情がある。一方の帰る人も意気揚々という訳にはいかない。ガスマスクを持って島におり立ち生活をする。決死の覚悟が必要。残る人・帰る人双方への心配りが求められる。
現在島には伝道所の建物はない。一九八三年の噴火の際に焼失し未だその地は危険地域に指定されている。噴火直前まではこちらから牧師が交替で赴き場所を借りて集いを行っていた。今後もそのような形になるか検討中である。
それにしても何で三宅島の人々がこんなにも長く苦しまなくてはならないのか。この問はこれまで様々の自然災害にあった人々についても言えることであろう。神がよい意志をもって世界・人間を創造しこれを保持しているというのにこの大きな悲しみはどう受けとめたらよいのか。
私は神のメッセージとして次のように聞く。①神の大きな力を知り人間の小ささを悟り生死を神に委ねて生きよ。②人よ、争い・戦争事を止めて助け合って生きよ。③人間の欲望が災害を増幅している面があることに気付け。④被災者は災害を免れた人達に代って苦しんでいる。⑤苦難を通して神は救いに導いておられる。……
(河合裕志報 三宅島伝道所代務者・西新井教会牧師)

【4572号】神は私たちの中に生きて働かれる 新潟県中越地震被災地から

復興の歩みはこれからが本番

ひとり祈りを捧げる

ホームセンターの駐車場で、仮設住宅に入られた近所の方にばったり出会った。「住めるところがあるだけでもありがたいと思わなければ」そう話される一方で、なかなか落ち着かない仮設暮らしのご苦労や、待ち受ける生活再建の厳しさが話のあちこちにこぼれ、程度の差はあるものの被災によって負った一人一人の重荷がいかに重く、そのことを踏まえた上で共になす復興の歩みはこれからが本番なのだという思いを新たにした。
昨年一〇月二三日、新潟県中越大震災発生。最大震度7、十日町市の最大震度6強。中越全域での震度4以上の余震一〇〇回以上。
地震発生当日、出張先の新潟市から帰宅できず小千谷市で車中泊をし、翌二四日朝現地で借りた自転車で帰宅した。保育園を併設している教会建物は、ほぼ無傷で建っていた。創立記念礼拝と共同墓碑完成式で賑やかになるはずだった礼拝堂で、ひとり祈りを捧げる、「必要な知恵と力をください」。
牧師館は、土台の割れ、柱の折れなどがあり、古い土壁はほぼ全部が落下もしくは落下寸前、柱は傾き梁は落ち、建具はひしゃげ、天井や床も波打っている。後に牧師館を視察された多くの方が同じことをおっしゃる、「乗り物酔いしたようで気分が悪くなりますね」
教会前の十日町高校グランドは避難してきた人々でごった返し、給水車に列をなしている。暗く不安な夜が明け、知った顔の無事を確認しあえる安堵からだろうか、人々は意外と明るく、ただやたらと口数が多かった。自らの体験を誰かに話したいのだ。

教会さんのボランティア

明けて二五日早朝、早速群馬地区の教職四名が支援に駆けつけてくださった。続いて関東教区、そして新潟地区からも問安に来てくださった。また、ボランティアとして茨城から、救援物資を満載したワゴン車を駆って群馬からも友人らが到着した。離ればなれになっていた家族とも再会できた。感謝、うれしさ、心強さに、身震いが止まらない。そして、礼拝堂を自主避難所として開放すると共に、急速に広がっていく支援の輪とその力強さに押し出されるようにして、新潟地区十日町教会ボランティアセンターを開設した。
間もなくセンターは関東教区の全面的な支援を受け、豊かに、そして大胆に活動を展開していった。教会センターの活動を支えてくれるスタッフも与えられ、北海道から沖縄まで、全国各地から駆けつけてくださったボランティアの方々が、近隣に物資を配ったり、十日町市災害ボランティアセンターや川口町ボランティアセンターを通して活動された。遠慮や警戒心から一般ボランティアを頼めないでいた人たちが、「教会さんのボランティアなら」と直接申し込んでこられたケースも少なくなかった。歩いていると近所の方に呼び止められ、「先生、町内の人たちがそ、教会さんがよくやってくれてるって言ってらんそ」と声を掛けてくださる。ボランティアひとりひとりの活躍がいかに素晴らしかったかを物語っている。
一日の終わりには、普段はスーツ姿しか拝見したことのない先輩牧師の方々が、泥まみれになって「今日はこういう活動をしてきましたよ」とお話ししてくださる。顔には無精ヒゲ。その笑顔はたまらなく素敵だった。

神は私たちの中に生きて

教会員はほぼ全員が被災し、中でも教会に一番近いご夫妻の家が大規模半壊と判定された。遠くに住む家族の説得もあって一度は移住を決断されたが、やっぱりこの町がいいと帰ってこられた。他にも移住を考えた方が数名おられたが、皆帰ってきたり思いとどまったりした。
公式判定では一部損壊という判定にしかならなかったが、土壁の家は壁を全部作り直さねばならなくなった。タイル貼りの風呂場や台所はほぼ全滅した。また、庭の石垣が崩れたというケースや、貸し家が全壊したというケースも。言うまでもないが、家財のダメージは全ての教会員宅で例外はない。
それでも、全員無事であったことは、幸いと言わずにおれない。むろん、ショックや避難生活で体調を崩された方は少なからずおられた。でも、今は元気と明るさを取り戻しつつある。
旧約聖書ヨブ記の物語を思い起こす。ヨブを突然襲いはじめた災いの数々。全ての財産、愛する家族、ついには自身の健康までも奪われていく中で、彼は自分が信じてきた事柄と現実との間で大いに悩み苦しんだ。すべての思いを吐き出した後、最終的にヨブは現実を受け入れる。いや、受け入れざるを得なかった。なぜなら、今この身に起きている出来事は、まぎれもない事実であり、否定しようにも逃れることのできない現実だったから。
でも、その時彼は神の声を聞く。受容せざるをえない人生を歩んでいるということを思い知らされつつも、神は決して自分を放ってはおかれなかったということ、常に自分を見つめつつ、自分の全てをご存じでいてくださり、その訴えさえも聞いていてくださったということに気づかされた時、彼は喜びにあふれた。
震災は、ヨブがそうであったように「なぜ」と問わずにいられない出来事ではあった。しかし、多くの方のお祈り、そして具体的な支援の業を通して、神は人を通して私たちに関わってくださり、人を通して愛を示してくださり、人を通して支え、慰め、励まし、いやしてくださる方だということを悟らされた。偶然、不思議、あるいは奇跡的、そんな言い表し方をしたくなるような出来事もたくさんあったが、思い返せばそれは隣人を通して私たちに働きかけてくださる神の御力に他ならない。まさに、神は私たちの中に生きて働かれておられるのだ。
被災地は有名な豪雪地。この冬は、傷んだ家屋をいたわるかのように、早め早めの雪掘り(屋根の雪下ろし)が行われている。しかし、雪の重みに耐えきれず倒壊する家屋や、放置されて埋もれていく家屋もある。除雪事故や落雪の犠牲になった方もおられる。雪は容赦なく被災者の心身を痛めつける。でも、私たちは光を失わない。
善きサマリア人にその名が由来するという災害救援団体埼玉サマリタンは「自分たちを“善い”と思ったのではなく、向こう側を通り過ぎない者でありたいと願った」と証しされた。このような隣人を通し、神は私たちを支えてくださる。いかなる困難の中にあっても、神から離れなかった者は、希望の中に神の恵みを見いだしたことを聖書は証ししている。
(新井 純 報 十日町教会牧師)

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