【4587号】教区コラム 東京教区

今年度の東京教区の取り組み
木下宣世

二〇〇五年度、東京教区が特に力を入れて取組もうとしていることがある。
それは教区内の教会・伝道所に対する助成制度の整備に関することである。
これまで東京教区には「教会強化のための支援要網」というものがあった。これは比較的短期間に自立する可能性のある教会を対象としたもので、例えばこの支援により教師がアルバイト等から解放され、牧会・伝道に専念できれば教会の強化につながるのではないか、というのが当初の意図であった。
しかし、この要網が実施されたのは一九六九年であり、その後起こった長期に亘る紛争のため実際にはこの要網は有効に機能することはなかった。
また、今日となってみると時代の変化により、実情に合わない面も出てきている。
そこで、この要網を見直し、今日の実情に合ったものを作ろうというわけである。
加えて東京教区には「教会設立および伝道所開設等の審査基準-内規」というものもあるがこれも前記要網と密接な関わりがあるので、この際両者を合わせて検討し、新しい制度を求めていこうと考えたのである。
そのため、この度「教会設立および伝道所開設等の審査基準」ならびに「教会強化のための支援要網」検討委員会、が設けられた。
教区内諸教会の強化につながる良い制度の誕生が期待される。
(東京教区総会副議長)

【4587号】弱さの中にこそイエス様が 日本キリスト教海外医療協力会

「日本キリスト教海外医療協力会・JOCSは、『お金や物を安易に送るのではなく、人を派遣することを通して共に生きる』ことをモットーに活動しているNGOです」小冊子に記されている通りに、計七年以上バングラデシュで活動し、様々な障碍を持つ人々と「共に生きて」きた岩本直美さんの報告会が、去る七月二三日、玉川教会を会場に行われた。
北海道くらいの面積に一億五千万の人口、高い山が迫り人が住める所は限られている、ドラム缶をひっくり返したような雨、講演は国土と気候についての説明で始められた。何より、私たちがいかにこの国について無知であり、無関心であったかを教えられた。それは、イスラム教徒についても同様だ。断食月の厳格さは聞いていても、厳密な人は唾も飲まないというのには驚いた。
もっと驚き深刻に受け止めたのは、親がいても放置され、自ら家を出、路上や駅で生活する子供たちの実態だ。希望のない生活の現実、麻薬に走り、ただ目的なくうろつく。写真を通して見ても心が痛む光景だ。
その一方、イスラム国家が誕生した時に移住出来なかった、貧しい人々の末裔であるヒンズー教徒の夫婦が紹介された。夫婦は、「アウトカースト故に、むしろ貧しく小さい人々に仕える姿勢を持つ。本人はそのことを意識してもいない。特別のトレーニングは受けていないが、貧しい人々に向かい合う姿勢が素晴らしい。尊敬している」岩本さんの説明を聞くと、写真で見る夫婦に親しみを覚える。
女性差別の凄まじい現実とそれへの対応にも触れられた。女性は結婚しないと天国に行けないというコーランに基づかない信仰、持参金が必要な結婚、女の赤ちゃんが生まれると食べ物も満足に上げないという女性蔑視。何より、結果的に女性自身が自らを無価値なものだと思いこんでいる。家に閉じこもっている女性たちへの辛抱強い働きかけが行われた。女性たちは自分が間違ってはいなかったということを発見する。そうして、教育を受けていない人達が自分の言葉で語り始める。
ある少年は、父親に腰の骨を折られて下半身不随となったが、家族は病院に入れようとしない。彼を助けることでもっと生活が困難になるからだ。JOCSの支えにより、少年は専門の病院で一〇ヶ月の治療を受け、スラムに戻った。車いすの生活だ。どうしてこんなにひどくなったのかという周囲の問に、この子は決して答えない。聞こえないふりをする。父に放り投げられたことは言わない。赦せないとしか思えない出来事があった。しかし少年は父も家族をも赦している。このような出来事でもなお消えることのない家族への愛が存在するのだ。
「貧しいバングラデシュの人々のただ中に、私たちが人らしく生きる道筋がある。私たち一人ひとりの場合にも自分の弱さの中にこそ、イエス様が現存していて下さる、ありのままに自分を差し出して行けば良いと思う」こう結んで、岩本さんの講演は閉じられた。
深い余韻が残った。

【4587号】あなたはどう考えるのか 第八回部落解放青年ゼミナール

「何故部落差別が今だに残っているんだろう。差別はなぜおこるのか?」このような基本的な疑問をもって多くの人が今年も第八回部落解放青年ゼミナールに集った。八月九~一二日、京都から大阪のいずみ教会に会場を移し行われたゼミは二年目。部分参加等も含めて総勢五九名の方々が関わってくださった。
参加者の半数は一〇代・二〇代という知識も経験も若い私たちであったが、だからこそ語り合える現実というものがあったと感じる。遠くは北海道からの参加、また韓国の大学生との交流・対話の時が与えられ、今後の関係性の継続も期待される。東岡山治部落解放センター運営委員長による開会礼拝では、ご自身の歴史を踏まえ人間解放に向けての希望が力強く語られた。
昨年に引き続き地元の青年との交流、また初めての試みとして彼らの活動であるDASHとの共催の公開講演会が行われた。基礎講座と各地における現実が様々な視点から報告された。青年ゼミ自体はクリスチャンに拘った集りではないが、その多くが教会での働きを担う者たちである。地元の青年たちとの出会いは、「いばらの冠」に示されたキリスト者の闘いの歴史の深さと広がりを改めて感じさせられるものでもあった。
実行委員会を立上げ一年かけて準備がなされた。聞く活動だけではなく、自ら動く活動への転換をも期待しつつ、日々の礼拝・一部のプログラムの担当を積極的に若い年齢層に依頼した。自らが担当することによって改めて学びの機会が得られたとの声も聞かれた。その一つ、ワークショップは、参加者の印象に残った。情報化社会といわれる昨今であるが、私たちには知らされていない現実が沢山ある。沖縄・辺野古の基地問題、日本における歴史教育の現状からそれらを問い、狭山事件における差別の実態を、知ろうとしない無関心と知らされていない情報操作との両面から見直された。明るい語り口が印象的だった福田智之さんのお話は、その明るさ以上のものを参加者の心に深く刻んだ。日常的に差別に対し敏感な感性と「あなたはどう考えるのか」という自らの思いを言葉にしていくことの大切さを語られた。仲間の言葉、この地で働く者の姿、礼拝のひと時、自分の心の動き、様々な出会いの喜びがあった。この、心を大きく揺さ振られた体験が、解放運動の未来への希望となるようにと願われ、会は閉じられた。
(鈴木祈報)

【4587号】伝道と教育への奉仕を使命に 学校伝道研究会開催

学校伝道研究会は、幼稚園から大学までのプロテスタント・キリスト教学校において、伝道と教育に奉仕することを使命とする者たちの研鑽と相互育成を目指す会である。
各学校における孤立した活動としてではなく、全国的視野に立った意識と連帯を持ち、教育の中核に生徒・学生の人格的・霊的育成を見、その実現に向けて、福音に基づく教育の具体的展開、実践的課題を探求するための「伝道と教育に関する神学」を目指している。また青年の信仰育成の場として、教会との連携を極めて重視している。
第二二回夏期研修会は八月四~五日の二日間、参加者四三名で開催された。一日目は夕方から荻窪清水教会を会場に懇談会が持たれ、大阪キリスト教短期大学チャプレン・重富勝己氏より「学生の魂に届くために-大阪キリスト教短大チャペル活動紹介-」との発題があり、勤務校における学生の霊性育成のための工夫、努力を伺った。更に地域の教会に繋げていくことが課題と話された。
二日目は東京女子大学を会場に開会礼拝後、全国教会青年同盟・岸憲秀牧師(千葉本町)、西日本教会青年同盟・岩田昌路牧師(狛江)より発題があった。教会青年同盟は創立以来、一貫して「キリストと教会に仕える」という主題を掲げ続け、「聖書の信仰に立ち、生涯を通してキリストと教会に仕える信仰者を育成すること」を目的としている。その活動を通し、青年たちは信仰仲間の存在に励まされつつ、洗礼への決意、奉仕への自覚、献身への志へと導かれている。特に日本基督教団は第31総会にて「21世紀に向けて伝道の使命に全力を注ぐ決意表明」、第32総会にて「21世紀に向けて青年伝道の使命に力を注ぐ件」を可決した。教会青年同盟の活動は二つの総会決議の実質化を進めるものとの自覚が語られた。
引き続き、東京女子大学学長・湊晶子氏より「日本のキリスト教学校の将来像-課題とビジョン」と題する講演がなされた。初代学長・新渡戸稲造の生涯と思想に学びつつ、「真に自立した・個(人格)」の育成をキリスト教学校の責務とする。「教えられたことをすべて忘れた後に残っているものが教養である」。このことからキリスト教学校が残せるもの、神から「愛されて、愛する人に」への人格教育により「自分を治めることが出来る人に」自立と寛容への教養を身に着けることの重要性が語られた。
これらのプログラムを通し、教会とキリスト教学校との具体的な協力体制についての活発な質疑応答がなされた。「青年伝道」の進展に向け、相互のパートナーシップを図る貴重な機会となった。最後に一同祈りを合わせて散会した。
(松本のぞみ報)

【4587号】子どもたちを招き入れ

おとなと子どもの合同礼拝 小林克哉

いわゆる「教会学校の低迷」について語られるようになったのはいつ頃からだろうか。少子化や、子どもを取り巻く社会状況の変化など、外的要因も取りざたされる。そのような中、各教会とも様々な工夫や試みをなしているかと思う。
今回はそのような教会の一つとして呉平安教会の試みを紹介したいと思う。

・教会学校休校状態から

呉平安教会は一九〇四年に南美以呉教会として創立された。宣教師の働きにより幼児教育施設も設置され、教会は幼稚園と共に歩んできた。教会学校の生徒は在園児や卒園児が多くを占めていた。 しかし一九九二年に幼稚園が廃園になると、幼稚園つながりで来ていた子どもたちは次第に教会学校に来なくなっていったのである。教会学校教師だけで礼拝をささげる日が多くなり、遂に教会学校は休校状態に追い込まれることとなる。教会堂に子どもたちの声が聞こえない日々が続いたのである。
しばらく後、主日礼拝に教会員が小さな子どもを連れてやって来るようになる。その子どもたちを、そのまま帰していいのだろうかとの声から、礼拝後にテーブルを囲んで畳に座り、紙芝居を見たり、『こどもさんびか』を歌ったり、主の祈りを覚えることをした。呉平安教会「こども会」の誕生である。子どもたちの成長と共に、礼拝式順を整えて「こども会礼拝」へと移行することとなる。
当初は休校状態にあった教会学校の復活を願う声もあったが、単に教会学校があった時代に戻すのではなく、現状に合わせ、一からこども会を造り上げることとなった。多くの教会学校の礼拝は、主日礼拝前の朝早くに行っているかと思う。しかし呉平安教会の場合、主日礼拝に教会員や求道者のおとなといっしょに来た子どもたちのためにと始めたこともあり、現在でも主日礼拝後にこども会礼拝を行っている。

・おとなと子どもの合同礼拝の実施

そのような歩みの中、教会員の中から、イースターやクリスマスなどに、おとなと子どもの合同礼拝を行いたいとの声が出た。
一九九七年イースターに最初の合同礼拝が行われた。初めの数年はイースターやペンテコステ、そしてクリスマスなどだけであったが、二〇〇一年度より第一主日を合同礼拝とし、他にイースター、ペンテコステ、花の日、アドヴェントとクリスマス、年末年始の主日など合計すると約三分の一をおとなと子どもの合同礼拝としてささげている。
現在の合同礼拝の式順は、前奏・招詞・頌栄・十戒・讃美歌・祈祷・聖書・こども説教・祈祷、讃美歌、祈祷、説教、祈祷、(聖餐礼典)、信仰告白、讃美歌、献金、主の祈り、讃美歌、祝祷・後奏となっている。子どもたちは「こども説教」の後の讃美歌を歌うといったん退場し別室で過ごす。「説教」の後(「聖餐礼典」がある場合はその後)に再び入場し礼拝を続けるのである。
合同礼拝でない日曜日は、主日礼拝後にこども会礼拝が行われる。その場合でも、主日礼拝も「説教」の後には必ず子どもたちは礼拝堂に入って讃美歌を歌い、献金をささげ、祝祷を受けている。
呉平安教会では、おとなと子どもの合同礼拝を行うに際し、幾つかの点を確認している。一つは、合同礼拝は、先に信仰告白している信仰者の群れに子どもたちを招き入れての伝道礼拝である、ということ。求道者が、先に信仰告白している者の群れがなしている礼拝に迎え入れられることによって信仰へと導かれるのと同様の考えである。まるで子どもたちが主役であるかのように考えることはない。勿論礼拝の主役は主ご自身であるが。洗礼礼典に立ち会うことはよい経験のようである。自分たちが洗礼を受ける日が来ることへの憧れを引き起こしている。
もう一つは、橋渡しとしての役割。教会学校があった時代の大きな課題は、教会学校から主日礼拝になかなかつながらないということであった。教会学校の礼拝しか経験していない子どもたちにとって、主日礼拝との間には溝があったようである。教会学校の年令を超えると「卒業」というケースもしばしばであった。年間三分の一が合同礼拝の今は、子どもたちにとって主日礼拝も「自分たちの礼拝」となっている。主日礼拝との間に溝はない。
合同礼拝では『こどもさんびか』は使用していない。合同礼拝は将来への備え、子どもたちを主日礼拝につなげていくためのものでもある。讃美歌にも慣れておいた方がいいと考えている。
全ての主日を合同礼拝とはしていない。『こどもさんびか』を使用したりと、こども会礼拝にも合同礼拝と違う良さがあるのも事実である。

・教会の子ども

おとなとこどもの合同礼拝を行うようになる前まで、教会の中に子どもは教会学校教師や子どもの親たちにお任せという雰囲気があった。へたをすると教会と教会学校が乖離している場合さえあった。しかし合同礼拝をするようになり、いっしょに礼拝をささげるようになると、以前にましてみなが子どもたちのため祈るようになり、神様から教会に預けられている子どもたちという感覚が強くなってきた。今は子どもたちへの伝道・信仰教育は教会全体の責任として自覚されている。子どもたちも、ご高齢の方から、幼子までいる教会という一つの群れの中で育まれていることを感じているように思う。
教会学校が休校に追い込まれたある教会の歩みである。神の導きを感じる。
(呉平安教会牧師)

 

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