【4582号】『三宅島伝道所』五年ぶりに礼拝 第三八回伊豆諸島連合修養会開催

第三八回を数える伊豆諸島連合修養会が、「新島で伝道を語ろう」の主題のもとに、六月七~八日、新島教会(東京都新島村本村)に於いて開催された。参加者は五六名。東支区をはじめ、東京教区内の全ての支区から集まった。
開会礼拝の後、各教会の現状報告がなされた。
今回特に時間を割いて報告されたのは、今年二月に避難解除となり、本格的に島民の帰島が始まった三宅島についてであった。
三宅島伝道所代務者の河合裕志牧師(西新井)は、二〇〇〇年七月以降休止していた同伝道所の礼拝が、五月二日に再開された様子を、次のように報告した。
「礼拝には一二人が出席した。倉橋康夫牧師(富士見町)による『小さな群れよ、恐れるな』と題する説教、自分(河合)の司式による聖餐式が、それぞれ行われた。会堂がある区域は、未だに立ち入り禁止になっているため、民宿の一室を借りて礼拝している。防毒マスクの手放せない状況の中、今度いつ、どこで礼拝が守れるのかは、未定である。しかし、小さな群れが礼拝を守ることの恵みを感じている。また民宿などを借りて、礼拝したい」。
同伝道所のメンバーを励ますために持たれていた「三宅島伝道所の集い(救援委員会主催)」は、この礼拝再開をもって、その役目を終えた。
その他、特に取り上げられたのは、伊豆七島内での教会の状況。特に、兼牧のために大きな課題を負っている新島教会の問題が取り上げられた。間に海を挟む兼牧(新島教会と大島の波浮教会など)の現実は、本州などからはうかがい知ることのできない課題が山積していることが示された。 信徒からは、「台風などで海が荒れると、礼拝に牧師が来られない」、「相談したいことがあっても、牧師が島にいない」など、教会に常駐する牧師の必要性を訴える声が上がった。
一方、米倉美佐男東支区長(聖和)からは「それぞれの教会ができることをした上で」という見解が示され、竹井真人牧師(波浮・新島)も、現状では経済的にも専任の牧師を招聘できない状況を訴えた。会場からは「年金の百円献金のような形で、島の教会を支える運動ができないか」との意見も出され、積極的に取り組む姿勢が見られた。本州に届きにくい「島の教会」の状況が、教会員の生の声も含めて報告された事は得難い経験との声も多かった。
報告の後は新島教会の子供聖歌隊の奉唱があり、伝道の困難な地でも、教会の働きがなされていることが証された。宿泊所となったロッジでは、分団の時を過ごし、それぞれが感じた伝道の課題を分かち合う交わりが持たれた。
台風の近づく中、閉会を繰り上げることとなったが、実りの多い時であった。
(辻順子報)

【4582号】100万人のキリスト者が集まった ドイツ・ハノーファー キルヘンタークを体験して

五月末に五日間の日程でドイツ・ハノーファーで行われた「キルヘンターク」の報告をしてみたい。「キルヘンターク」とは直訳すれば「教会の日」となるが、「教会祭」というのが一番ぴったり来るように思われる。キリストを信じる者が二年に一度集まって「キリストを祝う(つまりは「祭り」)というのが趣旨だからである。元々の起源は一九世紀末の敬虔主義的な信徒運動から始まったこの祭りに、今年は一〇〇万人のキリスト者が全国から集まった。この信徒運動は、ドイツ国内に留まらず、ヨーロッパ全体に広がる国際的な性格を持っていたため、第二次大戦中はナチから禁止されていたという経緯もある。戦後新たに数えて今回が三〇回目となる。信徒運動という性格故に「信徒大会」と訳すこともあるようで、「教会の公式の行事」ではなく、教会はあくまで経済的な後援を行うという慣例になっている。ドイツの教会の性格の一面を知るには、私のような外国人にとって、とてもよい機会であった。
複数の屋外会場に一〇万人が集まる開会礼拝から始まった。開会礼拝の感想を簡単に記すと、使われている讃美歌が大変に明るいものであるように思った。そこで作詞・作曲年を確認すると両方とも一七世紀のものだった。古いものに少し手を加えるだけでずいぶん感じが変わるのだなと思った。またこの教会祭のために新たに讃美歌などが作曲されたようである。
開催期間中、毎朝一時間の聖書研究が四〇のセクションに分かれて行われ、その後様々な行事や展示が開始する。パネル展示の数は実に七五〇以上、それだけの数の団体がドイツ福音主義教会の関係団体ということになる。もちろん市外から来た人たちすべてを収容するホテルの数はなく、ほとんどの人が寝袋持参で、学校の教室を借りてごろ寝をするのがこれまた「伝統」となっている。

「市場化」する教会祭

最近の教会祭の特徴を二つのキーワードでまとめると、「市場化」、「信仰と行為」となろう。
第一の点については、教会祭の拠点地として博覧会会場(メッセ)が用いられたということと関係する。おそらくかなり以前は宿泊場所である学校と会場である(市街地の)教会という二つの拠点地だったのが、教会会場を開催地に持っていない団体や教会会場では収まらない行事をこなすために、博覧会の会場が使われるようになるのである。この、パネル展示をするブースが集まった建物を「可能性の市場」と名付けるようになったのがいつからかは正確にはわからなかった。過去の資料をたどると、少なくとも一九七七年の段階でこの名前が使われている。しかし、その「市場」は当時よりさらに大きくなっている。そこでは、「客」がそれぞれに自分の興味にあった団体から資料をもらい話を聞いたり出し物で楽しむのである。
もちろん入場者からすれば一箇所に集中していた方が便利であるという一方で、電車で二〇分ほどかけないと、本来主会場である教会までは行くことが出来ない。結果的に、このような教会に本拠を持っている団体の催しに参加するためにはあえて足を運ばねばならず、「消費者」からすると「積極的に選択しなければならないもの」ということになってしまうように感じられた。そのような「市場外」の団体として、たとえば自由教会や改革派教会、それから同性愛運動の団体(会場は学校)があった。前回までは同性愛運動の団体の公式行事はなかったので今回は一つの変化があったことになる。ただしそこでの行事は事例報告が中心で、聖書的・神学的考察は主題となっておらず、日本の教会が参考に出来るような議論はまだ始まっていないという印象を受けた。
第二の点については、七〇年代、八〇年代はプログラムの傾向が「行動(アクション)」というキーワードであったのに対して、「信仰と(その応答としての)行為」という変化が認められることを挙げたい。社会的なアクションの基礎を確認するというのが最近の傾向だそうだ。同行してくれたシュナイダー牧師(シュトゥットガルト)から教えられた。

満員の八〇〇〇人会場

最も人が集まったのは二日目夕方、ケーラー大統領やフーバー司教団議長らが登場したシンポジウムで、開始前に八〇〇〇人会場が満員で閉め切られた。延べ三回ある聖書研究のうち一回、「霊性」をテーマにした聖書研究に参加した。本屋でよく見かけるカトリック神父による味わい深い奨励を聞くことが出来た。しかし私の捉えた限りであえて言えば、「霊性」は教会祭共通の基盤をなすものというよりは、「市場に並ぶ数ある選択肢の一つ」にすぎないようにも思われた。また「祈り」「説教」といった信徒の教会生活を支えるものがなお展示や講演からは見出しにくいようにも感じられたし、「伝道」というテーマについてはついぞ見つけることが出来なかった。ただ、「聖餐」についてはその例に当てはまらず、土曜に各教会で行われた聖餐式には通路を埋め尽くす人が集まってパンと杯を分かち合った。日曜日(最終日)に野外会場で行われた三〇万人からなる閉会礼拝の聖餐の様子と併せて、印象深いものであった。
会場は毎回持ち回りで次回(二〇〇七年)はケルン、次々回(二〇〇九年)がブレーメン、またローマ・カトリック教会との二回目の合同となる二〇一〇年がミュンヘンで行われると聞く。
領邦教会の威信をかけて行うだけに、教会ボーイ・ガールスカウトの手伝う姿にも力が入っていた。客として楽しむよりも主催者側の楽しみの方が大きいのではないか。訪問する楽しみと受け入れる楽しみという構図は家庭、そして伝道する教会と同じで、この教会祭にも見いだせるように思った。    (上田彰報)

【4582号】荒野の声

▼二昔も前のこと。重度の身体的障碍を持った方々と月一回の礼拝を一緒に守っていた。日常会話も不自由な人が多く、讃美歌を歌うことが困難なことだった。▼少し歌える人も、大幅に音を外す者に引きずられてしまう。一〇数人の讃美は、悲惨な状態になるのが常だった。讃美歌が無くても礼拝は成立する、そうも考えたのだが、メンバーは歌いたいらしい。▼ヒムプレーヤーは未だ持っていなかった。奏楽を録音したものを持参する。必死でこの音を聞いた。メンバーがトンデモなく外れた音を出しても、その声には耳を閉ざし、ひたすら奏楽だけを聞く、そんな器用なことが出来るようになった。メンバーには関係なく、一人で正しく歌えた。▼初めて正しく歌えたその瞬間に目が覚めた。何をやっていたのだろうと。これでは讃美でも何でもない。次の礼拝からテープも止めた。みんなで歌った。思いっきり音を外して、気持ち良く歌っている彼らの心持ちが、だんだんに分かってくるようだった。▼祈りについても同じこと。聞き取ることも難しい言葉に、しかし、心を打たれ、アーメンを言った。

【4582号】メッセージ

ヨハネの黙示録 三章二〇節

扉を開いて 藤掛順一

会堂開放

私たちの教会は昨年秋から、「会堂開放」を始めました。私たちの教会堂は一九二六年に建てられた、ご覧のように大変厳めしい建物です。新来者にとって決して入り易くはない、敷居の高いものですが、他方横浜市の歴史的建造物に指定されており、それらを巡るツアーのコースにも入っていて、見学を希望する人はけっこうあります。
しかしこれまでは、正面玄関近くに事務所を設けることができないという構造上の制約もあり、週日には扉を閉ざしていました。それをこのたび、教会員の中から奉仕者を募り、毎週木曜日から土曜日の午前十時から午後四時まで、正面入口の受付に奉仕者が二人ずつ待機して、来訪者を迎え、必要があれば建物の説明などをするという体制を整えました。開放中、外には「会堂開放中です」という看板を出し、気候のよい時には扉を開けたままにしておいて、誰でも入れることをアピールしています。
始める前は、果してどれくらい人が来るだろうか、一日中待ちぼうけになるのでは、と不安にも思っていましたが、実際にはほぼ毎日、案外多くの方々が訪れてくれています。
私どもの教会はオフィス街にありますが、近くの会社に勤めている人が、「一度入ってみたいと思っていたが、今まで週日にはいつも閉まっていて入れなかった」とお昼休みに来たり、横浜のキリスト教史跡を巡るツアーの方々が立ち寄られたり、デート中のカップルがふらりと立ち寄ったりしています。ちょっと見るだけですぐ帰る人もいれば、礼拝堂に座って奏楽者がパイプオルガンの練習をしているのをしばらく聞いていかれる方もいます。この会堂開放を通して、見知らぬ人々に教会の案内を渡したり説明したりする出会いの機会が与えられたことは、貴重な時間を献げてくれている教会員の奉仕者にとっても、また教会全体にとっても、充実した喜びとなっています。初めて礼拝に来る前の下見に来られた方もあり、教会の敷居を低くし、入り易くするという効果も出ているようです。

秘密結社化する教会

教会が地域の人々に向かって扉を開き、迎え入れる姿勢を具体的に示すことは大事なことです。それはある意味当たり前のことであり、そのような努力をそれぞれの教会はいろいろな仕方で既にしておられることと思いますが、そのことがなかなか願うような成果を生まない現実もあります。日本のキリスト者人口は今や一パーセントを切り、社会の中で教会の存在感はますます希薄になり、人々の目に見えなくなりつつあります。ある人はこれを「教会の秘密結社化」と表現しています。そのようなつもりはなくても、自分たちの間でしか通用しない言葉や論理に凝り固まり、結果的に世間の人々に対して扉を閉ざしているという印象を与えてしまってはいないか、私たちは自らを振り返るべきでしょう。

主イエスを迎えるために

教会の扉は、象徴的な意味で開かれていなければなりません。けれどもそれは、単に世の人々を一人でも多く教会に迎え入れるためだけのことではありません。教会の、そして私たちの、閉ざされてしまいがちな扉を、主イエス・キリストがたたいておられるのです。 主イエス・キリストが私たちの心の扉の外に立ってたたいておられ、私たちが扉を開くことを待っておられるのです。私たちが扉を開くのは、その主イエスをお迎えするためなのです。
教会の扉を開くことも、人々を迎え入れるためであるよりも先ず、主イエス・キリストをお迎えするためです。教会が自らの中に閉じ籠り、扉を閉ざしてしまっているとしたら、それは主イエス・キリストに対して扉を閉ざしているのです。主イエスをお迎えする心が萎えてしまっているのです。

主イエスによる派遣

主イエスは、そのような私たちの閉ざされた扉をたたき、入って来られます。復活された主イエスが、ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけて閉じ籠っていた弟子たちのところに来られ、その真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と語りかけて下さったのと同じことが私たちに起るのです。主イエスが入って来て下さったことによって、弟子たちは喜びを与えられ、そして主イエスによって「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と派遣されたのです。主イエスは彼らに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と言われました(ヨハネ福音書二〇章一九〜二三節)。このようにして弟子たちは、聖霊の力をいただき、罪の赦しの福音を宣べ伝えるために、閉ざされていた扉を開いてこの世へと出ていったのです。このことは私たちに、扉を開いて主イエスをお迎えすることによってこそ、扉を開いて世に向かって福音を語っていくことができ、扉を開いて人々を教会に迎え入れることができる、ということを教えているのです。

洗礼と聖餐の共同体

「だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」。この食事は終末における祝宴ですが、今この世において私たちがその食事を前もって味わい、この祝宴にあずかる希望に生きるために与えられているのが聖餐です。この食事にあずかるために、扉を開いて主イエスを迎え入れること、それが洗礼を受けることの持つ一つの意味です。教会は、扉を開いて主イエスをお迎えする洗礼を受け、終末の祝宴の先取りである聖餐にあずかりつつ生きる者たちの洗礼共同体、陪餐共同体なのです。

伝道する教会へ

教会が扉を開くのは、この共同体を真実に形造るためです。
扉を開くことは、教会と世との境目をなくしてしまうことではないし、教会の入り口の敷居を取り払ってしまうことでもありません。
「十字架のつまずき」(ガラテヤ五章一一節)をなくしてしまってはならないのです。
洗礼を受けて聖餐にあずかる群れ、という教会の本質、そこにある根本的なつまずき、即ち教会と世との境目をはっきりさせなければなりません。
そうすることによってこそ教会は、人間の思いが作り出す不必要な敷居を全て取り除き、扉を大きく開いて、世に向かって、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことができるのです。
力強く伝道する教会となることができるのです。

(横浜指路教会牧師)

 

【4581号】教区総会を問安して

各教区総会が続いている。残念ながら沖縄、京都の両教区は問安使を拒否されたが、それゆえにこそ対話を求めて行かねばならないと感じている。沖縄教区総会には愛澤豊重総務幹事を傍聴せしめたので、報告を受け対応していきたいと思っている。
四役で分担して一五の教区総会を問安しているが、幹事たちも一人一教区ずつ随行訪問させていただいた。
私は四国、奥羽、東北、西東京、関東の五教区を問安させていただいたが、各々の教区固有の宣教課題を担いつつ歩んでいる様子を今回も教えられている。
差異はあるが、「合同のとらえなおし」の問題をめぐる質疑、そして、セクシュアル・ハラスメント裁判についての質問が多かったように思えた。
これらについては深めることは出来なかったが、現状の把握はそれなりなしえたことは有益であったと感じている。
一方、教区活動連帯金の受入額減少をめぐっては厳しい意見、注文もなされ、これも今後に反映されていくであろう。
更に議長挨拶文の中で「正しい聖礼典執行を通して教団(教会)形成に励みましょう」の一文について私の問安した教区ではいずれも質疑が熱くなされた。 聖礼典の乱れが教団の不一致、教会間の不信を増大させるだけに、この件については看過できない。これから本格的な取り組みがなされるべきだろう。
(教団総会議長 山北宣久)

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