【4590号】「信仰の原点に立つ」をテーマに 信徒の友セミナー

去る九月六日から八日、長崎県佐世保市のハウステンボスを会場にして第二三回信徒の友セミナーが開催された。これまで関西以西で行われたことが少なかったこともあって、長崎を会場としての開催となった。
数日前より台風一四号の進路が心配されていたが、ちょうど開催日程に九州直撃となり、参加者、内容とも大きな影響を受けることとなった。
今回のテーマには「信仰の原点に立つ」を掲げた。キリシタンの信仰の歴史に触れながら、今一度現在の私たちの信仰を顧み、新たな福音の力にあずかることを願って、講師として皆川達夫氏、森禮子氏、小島誠志牧師、今橋朗牧師に依頼し、さらに地元から福井博文牧師と末瀬昌和牧師にも協力をいただくこととした。
折からの台風のため、初日の講演を予定していた皆川氏は長崎に来ることができず、福岡から駆けつけてくださっていた森禮子氏が、急遽初日と二日目の二回講演をしてくださった。
まず森氏は、長年取り組んできたキリシタンの歴史調査から、当時の歴史の全体像と特に日本人として初穂となった人々について講演した。
二日目には、著書『神父ド・ロの冒険』にも記されているド・ロ神父の人となり、信仰、またその働きについて親しく語った。
台風一過晴天となったこの日、福岡に足止めされていた人や飛行機で駆けつけた人が次々に加わり、予定していた外海地方へのバスツアーに共に出かけた。午前中に聞いたド・ロ神父がこの地で生涯生活を共にした歴史に実際に触れ、また『沈黙』の舞台である同地に建てられている、遠藤周作文学館も訪ねることができた。
夕べには今橋朗牧師の指導によって、キリシタンの人々も歌った典礼歌の歴史と信仰に触れながら、楽しい賛美の時、祈りの時を過ごした。
最終日には小島牧師によって、アブラハムの信仰から弱さを抱えている人間こそ、恵みによって信仰生活に導かれていることを改めて教えられた。最後に、氏のハーモニカ演奏を聴く幸いも得た。
台風の直撃を受け、三〇名ほどがやむなくキャンセルとなったが、地元の末瀬牧師、福井牧師の多大な協力をいただき、七〇名ほどの参加者を与えられ、無事終了できたことはまことに感謝であった。参加できた方々にとっては嵐の中での忘れ得ぬセミナーとなったことであろう。
(古屋治雄報)

【4590号】C表記載の統一・明確化を 第一回全国財務委員長会議

第34総会期第一回全国財務委員長会議が、九月二六日午後四時三○分から二七日正午まで、教団会議室において開催された。欠席の沖縄教区を除く各教区の財務委員長・議長および総幹事・財務幹事・予決委員が出席した。
今回から統一した報告様式により、教会伝道所数・現住陪餐会員数推移、前年度教区財務委員会報告・経常会計決算、今年度経常会計予算、教区内教会・伝道所の支援・互助制度、教区で取組んでいる財務に関する問題・課題、全国財務委員長会議への提言・意見、についての報告がされた。
各教区とも厳しい教勢の中でやり繰りをしている。
話し合いに入り、①教区ごとに会計基準・処理がまちまちであり統一化の必要性はないか、教区の自主性との関連、教団による教区の実態把握について、②教職謝儀基準・保障(互助)の取扱いで教区ごとの差異をどう考えていくか、③教団年金問題への取り組み、④全国財務委員長会議の持ち方、などについて活発な意見交換がなされた。
二日目は、教団財務状況報告、年金局・出版局の二○○四年度決算概要報告に続いて、二○○六年度事務局予算素案の説明があった。
収入を先に検討し、教区負担金は総額で前年度比一%減、出版局・他会計繰入金ゼロなどによる縮小予算となり、一層の支出節減に努めていくこととなる。
各教区への負担金配賦は昨年の委員長会議で示された計算基準で算定される。
続いて「年度報告C表改定案」について予決委員から説明があった。
これは各教会から提出されるC表の記載が統一されていないと、教区負担金算定に当たって公平性を欠くことになることから、より明確化を図るもので、特別献金の内訳記載、他収益会計からとその他からの繰入れの明記、対外指定献金の内訳記載、謝儀援助とその他援助の分離、教師謝儀は援助による金額の明記、対外献金の取扱い等である。
また、予備費からの支出は、決算書上では各該当支出科目にふり分けて記載すべきとの意見が出された。(鈴木務報)

【4590号】収入に見合った削減策を検討 第三回予算決算委員会

第34総会期第三回予算決算委員会は九月一九日・二〇日の両日、全国財務委員長会議の前後に教団会議室で開催された。
総幹事および財務担当幹事より当委員会に関わる事項の報告を受けた。二〇〇四年度決算については常議員会で承認を得たが、関係者の努力で一つずつ問題が解決しつつある事が評価された。
監査については六月一五・一六の両日行われ、教団財政の健全化に伴い監査業務範囲の拡大が指向されて来ている。
ついで二〇〇六年度の予算に関する協議では、負担金収入をまず一パーセント減として予算を立案する事を確認し、支出項目についても収入に見合った削減策を検討した。教団負担金の賦課基準については、今年度は昨年の改訂を引き継ぐ事を確認した。
今委員会の課題の一つがC表の改訂についてであったが担当委員から詳細な説明があり、全国財務委員長会議の意見も参照し、さらに検討することになった。
二日目の予算決算委員会では、財務委員長会議での意見を尊重しながら、今後のスケジュールに合わせ、残された課題について検討を進めていく事を確認した。具体的には二〇〇六年度予算案については次回常議員会に予算原案を提出する方針で立案を進める事にした。
C表の改訂については、担当の山下光、鈴木務委員が今まで寄せられた意見を踏まえ新たな改定案を次回常任委員会までに作成する事になった。
事務局と出版局との間の経理の整理については、事務局としては資産勘定(出版局勘定)を立て、出版局としては負債勘定(本会計勘定)を立てて、計上額が累積して約九七〇〇万円になっているが、今後その計上額等を出資金に振り替え処理するのが適当である事を確認した。
会計監査からの要望については、教規上の課題など教団総会や常議員会で取り扱うべき問題を除き、当委員会で取り組むべき負担金などの課題は今後順次検討していく事を確認した。
(池田浩二報)

【4590号】荒野の声

▼月曜日の前夜式、火曜日の葬儀・告別式が二週続いた。▼Uさんは末期の肺癌で半年以上病床にあった。付き添う夫人が、枕もとで新聞や本を毎日読んで上げた。聖書も少しずつ読むようになった。夫人の四〇年来の願い・祈りにも拘わらず教会の門をくぐることのなかったUさんの心が動いた。いよいよ病状が悪化した時、彼は自ら受洗を志願した。▼金曜日に問安し、事実上の試問を行った。日曜日に臨時役員会を開き、その午後には洗礼式と聖餐式を病床で執行した。翌月曜日、Uさんは御許に召された。▼葬儀では、洗礼式と同じマルタによる信仰告白の箇所を読み、病院では歌うことが許されなかった、聖餐式の讃美歌六七番を歌った。▼Nさんは長くCS教師を務め、子供電話相談のボランティアをした人。マルコの幼児祝福の箇所を読み、三曲とも『こどもさんびか』にした。▼説教の概要は両者の場合とも、おおよそ察して貰えると思う。葬儀は故人自らの生き様が、信仰が作り上げるものだ。牧師、まして葬儀社は、それを邪魔しないように心掛ければ充分だ。

【4590号】聖徒の日メッセージ

ヨハネの黙示録七章九~一七節

涙をぬぐわれる神 竹内郁夫

・死は別れである

私たちにとって、死とは愛する人との別れです。父、母、兄、弟、姉、妹、祖父、祖母、伯・叔父、伯・叔母、従兄弟・姉妹、恋人、友人、恩師、先輩、後輩などの死には、実に厳しいものがあります。日頃は忘れていた死が身近なものになります。ある人が、「父の死は鋭く、母の死は重い」と語りましたが、実に、「愛する人の死」は鋭くて重く悲しいものです。命と愛を絆にして結ばれた人の死は、悲しみと孤独、孤絶に満ちたものです。生きる力を奪い取っていくものが、愛する人との死別です。
信仰の父アブラハムは、年が満ちて息絶え、天の民に加えられました。天寿を全うしたのですが、別れの悲しみがあったはずです。ダビデ王は、幼い息子が亡くなったとき、大地に横たわり、食を断ちました。別れの痛みに耐えられなかったのです。
私たちは、この悲しみの体験から逃れることはできないのです。避けることのできない出来事です。
では、死は、私たちにとって絶望そのものでしょうか。聖書は、死を無限の虚無とは語ってはいません。死は、永遠の別れではありません。命と愛を絆にして結ばれた交わりを悲しみのもとに切り捨てることはしません。聖書は、必ず、再び会う望みを示しています(一テサロニケ四・一八)。
この出来事から学ぶことには、何があるのでしょうか。極めて大切な学びがあります。そのような死をどのように受け止めたらよいのでしょうか。
ある老婦人が自分の言葉を心に飲みこむようにして語られました。「主の日の礼拝は、いずれ、神さまのみもとに召されたとき、主イエスさまと共に神さまを礼拝するお稽古なのですね」と。死を将来において、主イエスや天に召された人々と共に神さまを礼拝するための出発のときとして受け止めておられたのです。私は、まだ、若輩で、未熟でした。主の日の礼拝をこのように受け止める信仰の余裕などはありませんでした。しかし、礼拝をこのように実に敬虔にしっかりと捉えておられたことには驚嘆の思いを禁じ得ませんでした。真に脱帽の至りです。ヨハネの黙示録七・一一のみ言葉が、彼女にしっかりと受肉して、根付いているのを見ました。
また、このような老婦人もおられました。「先生、死は私たちの最後の関所ですね。その関所を私たちは、主イエスさまと共に渡って行くのですね。だから、私は、安心です」と語られました。この方は、主イエスが十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、祈り叫ばれた言葉を「わたしの神よ、この苦しみの時、わたしと共にいてください」という祈りとして受け止めておられたのです。
私たちが、真実に祈り願うことは、死に直面したとき、愛する人が共にいてくれることです。手をしっかりと握りしめてくれることです。神さまの平安を祈ってくれることです。愛する人が、傍らにいてくれることによって、私たちは死を平安のうちに受け入れることができるのです。平安のうちに別れていくことができるようになるのです。必ずしも、死は不安や恐れの理由や対象になるものではないのです。根源的には、命と復活の主イエスが共にいてくださるという信仰と信頼です。
愛する人との別れを見送る人は、悲しみ涙することができます。別れていく人は、悲しんでも、涙することができません。無言のうちの別れです。時には、まなじりから一条の涙を流されて召される方もあります。多くの方々は、それもできずに、愛する人々と別れて、天の故郷に帰って行かれるのです。

・涙をぬぐわれる神

神さまは、そのようにして天に召された人々をどのようにお取り扱いになるのでしょうか。実に、大切な事柄です。
聖書は、神さまのお取り扱いを次のように私たちに語ります。「神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」(黙示録七・一七)と記しています。
神さまご自身が、天の故郷に帰って来た人々に近づき、膝を折って、ぬかづき、心の目に溢れる涙をぬぐい取ってくださるというのです。
神さまは、このようにして愛する人々と別れて来た人々の悲しみを和らげ、癒してくださるのです。この神さまの「グリーフ・ワーク」(悲しみを和らげ、癒す働き)によって天に召された方々は、別れの苦しみや痛みから解放されていくのです。この働きは、励ましの働きではなく、心を暖かく包む慰めの働きです。ハイデルベルク信仰問答の問いが、「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」という問いから始まるのが分かる思いがします。
私たちが信じる神さまは、実に慰めに満ちたお方です。
先に、死は永遠の別れではなく、その果てに再会のときがあると語りました。
別れを見送った人と見送られた人とが、再び出会うのです。先程、引用したテサロニケの信徒への手紙一、ヨハネの黙示録のみ言葉からうかがい知ることができます。天に召された人と地上に残された人とを結ぶ絆があります。やがて、地上に残された人も天に召されるときが、必ず訪れて来ます。再会のときが来るのです。

・再会の望みに生きる

天の故郷にある人は、後に続く愛によって結ばれた人との再会に望みを置きます。また、地上に生きる人も、先に召された人々との再会を心に秘めて、残された人生を生きて行きます。地上の生涯を「再会の望み」に支えられながら望みつつ生きて行くのです。再会の望みが天と地を結ぶ絆です。
時が満ちて、天に召されて、再会のときを迎えたとき、神の小羊である主イエス・キリストが牧者となって私たちを命の泉に導いてくださいます。そして、再び出会うことができた感動と感激に私たちは浴することがゆるされます。地上に生きる私たちは、この再会の望みに生かされ、生きて行きます。心の小脇に抱いて進み行きます。
愛する人との別れは、このような「再会の望み」を私たちにもたらしているのです。地上にある私たちには、悲しさと侘しさを耐える力が与えられているのです。事実、この望みに生かされて生きておられる方々が多くおられます。
私たちも地上の生涯に幕を降ろし、天の故郷に帰るときには、先に神さまのみもとに帰った愛する人との再会がゆるされます。互いに手を固く握り合って再会を喜び、感謝し、地上にあったときのことを顧み、互いに労い合うのです。
復活の主イエスが私たちの牧者となって、命の水の泉に私たちを導き、神さまに共に礼拝を献げるのです。
(聖徒の日・永眠者記念礼拝/弘前教会牧師)

  • 共に仕えるためにPDF

    リフォユース最新情報はこちら

    宗教改革500周年記念事業

    International Youth Conference in Kyoto

    公募・公告

    エキメニュカル協力奨学金 申込書類一式

    日本基督教団年鑑2018年版

    よろこび

    日本基督教団 伝道推進室

    東日本大震災救援対策本部ニュース

    教団新報 archive

    教日本基督教団 文書・資料集 申請書等ダウンロードコーナー

    月間 こころの友