【4574号】教区コラム 四国教区

教区雑感
芦名弘道

准允の教区面接で教団の教師となる志を問われ、「各個教会に仕えることによって全体教会に仕えたい」と答えた。二〇年を経た今も、その思いは変わらない。
ある時、教区の先輩牧師から「教区は各個教会を支える主体である」と聞き、自分の教会への召しと教区の役割が真っ直ぐ繋がった。換言すれば「教区は各個教会のためにある」となろう。
しかし「ために」ということの理解は決して一様ではない。これを教区内諸教会全体の益のためと受け止めれば、教会は他教会のためにという視野を持つこととなり、自己の利害に固執せず、互いに仕え合う中で自らが問い直され、常に新しくされる歩みが必然化する。
それに対し、教区は自分たちのためにあると受け止めれば、自教会の都合の良し悪しで教区を測り、悪ければ都合良くしようと水面下の画策が始まる。それは結局利己主義に他ならない以上、自己を問い直す機会を失い、無自覚の内に足下から壊死しはじめる。
パウロは、利己的欲求と嫉妬を原動力に伝道する者について、キリストが告げ知らされているのだからそれも喜ぶと言い切った(フィリピ1・17)。それは、心底からキリストのために生きようとする魂の告白であり、「あなたは誰のために在ろうとし、生きようとしているか」という深い問いと厳しい警告を背後に持っている。
そのパウロが、今私たちの教区に、教団に生きていたら、何と言ったであろうか。
(四国教区総会副議長)

【4574号】厳しい財政状況の中で 予算・決算委員会

第34総会期の最初の予算決算委員会は二月十日、十一日の両日、昨年十二月の常議員会において選任された七名の委員全員が出席し教団会議室で開催された。
冒頭、総幹事挨拶があり、新委員会が選任された経緯の説明、今期の予算決算委員会に望む事、実務的仕事として厳しい財政状況の中で、さらに教団財政の明確化が進められ、健全化に向かう事が期待されていると述べた。
ついで委員会組織について協議し、互選により委員長に飯塚拓也、書記に池田浩二、常任委員に伊藤瑞男の各氏を決定した。
担当の計良祐時幹事からは最近の事務処理事項について報告があり了承した。
今期の委員会は前33総会期から継続で、各委員が当委員会に関わる事項を分担・検討し、その結果を報告・協議する事を確認した。
具体的には、①会計構造の見直し、②C表の見直し、③二〇〇六年度予算審議、④二〇〇五年度実行予算審議、⑤全国財務委員長会議用の各教区報告書式の統一、⑥全国財務委員長会議の準備、⑦貸出資金勘定、別口勘定、活動資金仮勘定等の精査、⑧未収金、前払金の調査、⑨予算執行管理体制の確立、⑩教団財政全般の健全化、⑪ペイオフ対策、等課題は山積している。
月次決算では、計良幹事より一月末現在の経常会計収支計算書並びに貸借対照表の説明があり承認した。
二〇〇四年度第二次補正予算についても、計良幹事より説明があった。
当初予算との差異に関して、予算管理のあり方等について検討を行い、補正予算に関して概要の説明書をつける事の要望を付して承認した。
尚今年度末までの見通しとしては、大きな変更は予想されないので、三次補正は組まなくても良い見込みである。
教団事務局旅費規定の改訂については、事務局提案の第六条、および第九条の改訂案を了承した。
当委員会の最重要課題である、予算執行管理体制の確立による教団財政の健全化については総力をあげて取り組む事を確認した。
(池田浩二報)

【4574号】札幌で共同の研修会開催 統一原理問題東京地区連絡会

一月三一日~二月二日、北海道クリスチャンセンターを会場に統一原理問題東京地区連絡会(東京、西東京、関東、神奈川教区)共同研修会が開かれた。
講師は北大の宗教社会学教授である櫻井義秀教授とカウンセラーのパスカル・ズィヴィ氏、札幌「青春を返せ裁判」で統一協会から元信者たちに画期的勝訴判決を勝ち取った郷路征記弁護士の三氏。北海教区の牧師、被害者家族も含め、延一八名参加の研修会となった。
教団の抱えた三つの裁判全てが勝訴となり、一つの山を越えた観のある中での研修会であったが、今回は心に傷を受け、トラウマや被害妄想に悩む被害者の問題が共通話題となった。
この問題に取り組む全国の現場では、かつてのような初期段階ではなく長期にわたってカルト集団に所属した被害者や家族の相談が増える傾向にある。
カルト集団によって、あるいは不適切な介入によって(日本基督教団での相談ではそうした事態が起こらないよう徹底している)心に傷を持つ元メンバーの相談も現場では抱えざるを得ない。
その場合に、相談者が被害者の根拠のない「誤った記憶」、「構築された語り(ナラティブ)」に巻き込まれたり、攻撃対象とされたりするというケースが起こり得る。
既に九二年に米国では「誤った記憶症候群」協会が、「性的虐待を行った」として実の娘から思いもしない告発を受けた親たちによって設立され、この深刻な問題が提起されている。被害者の記憶や証言の全てが真実でなく、「悪意」とは別に被害者同士の記憶の摺り合わせの中で妄想のように構築されてしまうことが起こり得るという問題である。ネット上で被害者同士が相互カウンセリングし合う中で、「妄想」が悪質な「ジャーナリスト」の介在によって一人歩きすることさえ、現代では起こり得る。
こうしたケースに対する宗教社会学、心理学、法律家のそれぞれの立場からの見解を聞くことが出来たのは大きな収穫であった。専門家との共同作業の必要性を感じさせられた。

【4574号】天と地のひびき轟く 『信徒の友』40年の感謝のつどい

『信徒の友』40周年記念感謝会が二月一二日午後一時半から、東京杉並区の阿佐ヶ谷教会で開催された。
二〇〇四年度はこの記念のために、例年の『信徒の友』セミナーに代えて、全国各地(兵庫、岩手、愛媛)で、執筆者たちによる記念講演会を開いてきたが、今回はその最後として「講演とオルガンのつどい」として行われた。
第一部は礼拝で、出版局前理事長の四竈揚牧師が司式し、讃美と聖書朗読(ヨハネによる福音書6章27節、34~35節)の後、感謝の祈り(連祷)を編集委員、執筆者、画家、読者の代表で捧げた。
第二部の「講演とオルガン演奏」では先ず、ドイツ文学者でフェリス女学院理事長の小塩節氏による「天と地のひびき」の講演があった。氏が幼少から親しんでこられたドイツの音楽とその作曲者たちとゲーテとの出会いが紹介され、さらに彼を感動させたバッハの旋律が「神を賛美し、人の心を生きかえらせるために」生まれたことが語られた。
言葉の彫像のようなこの講演に応えるかのように、バッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督であり東京芸術大学教授の鈴木雅明氏が、バッハのオルガン曲五曲を演奏された。「ファンタジア ト長調」「ファンタジア ハ短調」のあと、なつかしい「バビロンの流れのほとりにて」「主よ、人の望みの喜びよ」が奏でられ、そして最後の大曲「プレリュードとフーガ ホ短調」が轟き渡った。上からの光を浴びて力強く天に昇ってゆくような旋律に一同は圧倒された。
編集長古屋治雄牧師の挨拶で、深い感動のうちに散会したのである。
そのあと、来賓者たちを中心とした感謝会が、別室で大村直子編集委員の司会で持たれた。秋山徹出版局長の謝辞のあと、『信徒の友』40年の歩みがスライドで紹介された。
ついでこの雑誌創刊にいたる教団指導者や有志の熱意、三浦綾子氏をはじめとする多くの執筆者達の協力、全国各教会の信徒の愛読と支援、教団紛争の中で霊性豊かな内容を作るための努力などが、次々と語られた。大宮前編集長の祈りをもって感謝のうちに会が閉じられた。
(大宮 溥報)

【4574号】ドイツ教会の教師養成 神学部との関係の中で(上)

神学部の学問の自由と教会と

教会と切っても切り離せない関係にあるのが神学校、つまり教師養成機関である。日本基督教団には教団立東京神学大学の他に五つの教団認可校があり、教団から教師養成の任務を委託されている。教会と神学校の関係がいかなるものであるかについて、様々な議論が出来るが、ここでは視点を移してドイツ・バーデン領邦教会における教会と神学部のあり方について取材してみた。
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まずは前提となる基礎知識について。ドイツの人口のほぼ三分の一がローマ・カトリック教会員、三分の一がドイツ福音主義教会(EKD)員、残りの三分の一が他の自由教会か他宗教、または宗教を特に持たない人という風に区分される。今回取材したバーデン領邦教会はこのEKDに加盟している合同派の教会の一つで、地域的にドイツ南西部(バーデン・ヴュルテンベルク州)に位置する。それぞれの領邦教会は独立しており、おのおの教会憲法を持っている。バーデン教会の場合は教師試験をハイデルベルク大学神学部に委託し、協力して試験を行うことになっている。教会数は五五〇、信徒の総人数は一三〇万人(二〇〇四年現在)と発表されている(なお教区の数は二九)。すべての大学神学部は国立(次回で述べる教会立神学校は別)である。ハイデルベルク神学部の昨学期の在籍学生人数は約六八〇人である。五~六年の学びののち受験する第一試験をへて実践の場での訓練が始まる(今回はこの段階を「牧師補」と訳した)。ここには学校教師も含まれる。さらに二年半の実習訓練を経て第二試験を受験し、按手礼を受領することになる。この第二試験の受験者が今年は二五名で、これはほぼ領邦教会で必要としている牧師の人数と合致する。ただし、現段階では合格後しばらく待機を余儀なくされる(順番待ち)状態で、この状態はしばらく続く見込み。ただし受験者そのものは若干減少気味ということであった。
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教会と神学部の関係について基本的なことをまず伺えたのはクリスチャン・メラー教授(実践神学)である。
「神学教授の領邦教会へのコミットメントの仕方は教師試験だけではありません」。これ以外に常時、領邦教会の各種委員会に最低一人神学教授が配置されているという。しかし当然のことながらすべての神学教授が同じように教会にコミットするわけではない。熱心な教授とそうではない教授がどうしても生まれてくる。「ただ、この州では神学部と教会との関係はうまくいっているのではないでしょうか。リューデマン教授のようにハノーファー教会と深刻な対立を引き起こすような例は全くの例外です」。ゲッチンゲン大学神学部で新約学を講じていた同教授は、「キリストの復活はなかった」と公言し、教会は教師試験の担当から外れることを要求する。その結果同教授は宗教学の教授に転ずるのである。「発言そのものを封じるのではないことは、大学における学問の自由の原則からいっても必然的なことかも知れません。すべては教授に任されているのです。大学神学部の目的は第一に学問的研究です。教師養成は第二の目的といって良いでしょう。教会立神学校(注・次回参照)はまた異なりますが」。
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この「学問の自由」はタイセン教授(新約学)もまた強調する。「確かにバーデン州の場合、学問的神学と教会とに軋轢が生じた時期がありました。八〇年代前半のことです。牧師のなりてが極端に減って、教会はそれまで教会関係の施設で働いていた執事に二年程度の神学教育を積ませた後牧師に任職していました。長い信仰生活と大学で学んだ神学との間に違和感があったのでしょう。大学の神学教育に対する強い異議が、特にそういった牧師の多かった地区から唱えられたのです。そこで、神学教授が一人最低でも半年に一度その地区の教会に泊まりがけで赴き説教や講演をするように取り決めたのです。再び牧師のなりてが増えてから、自然とそういった声も小さくなりました。ただ、私としてはそういった場合でも神学教授がやるべきことは本来講演のような形がよいと思うのですが」。
「神学が直接教会に貢献するというのではなく、学問の自由が保障されるべきです。教会との関係はそれとは別個に考えるべきで、たとえばこの大学には大学教会があり、また大学公認のキリスト教サークルがあります。先日も私が講演に行きました。別個とはいっても重要であることには変わりありません」。
タイセン教授がまた強調するのが、教会と大学という二項関係だけでなく、それ以外の流れも重要だという点である。「八〇年代後半から再び牧師志願者が増加します。学生の数でいっても八〇年代前半の一番少なかった時期で五〇〇人だったのが二〇〇〇人ぐらいに増加したのです」。原因はいくつかあって、聖書の批評的解釈が動向にまとまりをつけ始め、それらを学んだ上で牧師として説教をすることに十分めどがついたということもあるが、「ドロテー・ゼレの存在が一番象徴的かも知れません。彼女は七〇年代後半までキリスト教内部における教会批判運動の急先鋒でした。彼女の文献読解力は学問的水準としても高い方だと言えますが、彼女を教授として招聘する大学神学部はドイツにはなく、アメリカに行くことを余儀なくされます。しかし元修道士との結婚の後、独自の霊性運動を展開し、再び教会に戻ってくるのです」。その時期と神学部が人気学部に転ずる時期は一致するという。ゼレは今でも特に女子神学生からの人気を集めているが一昨年に逝去した。
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さて、ここで教会の側からの声を取材してみた。大学の地元、ハイデルベルク地区の地区長をし、聖霊教会牧師でもあるステファン・バウアー牧師である。
「確かにリューデマン教授の事例は特殊かも知れませんが、少なからず似た事例をバーデンも抱えているのです」。ハイデルベルク大学の新約学のある教授は、最新の著作「新約聖書の使信は真実なのか?」に限らず、新約聖書文書に正典としての特別の位置づけを与えず、他の書物と全く同じように古典的価値のみを与えるという研究をし、著述活動をしているのみならずリベラル系の新聞に教会批判をときおり寄せているという。「私は問題だと思うし、このことは本人にも直接言っています。私だけではなく領邦教会本部でも同じように問題を感じているようです」。
「ただ、領邦教会とハイデルベルク大学神学部は良い関係を保っており、定期的なコンタクトもなされていますし、また教授個人を例に挙げるとすれば、最近聖餐論についての著作を書いたウェルカー教授はたびたび牧師会に招かれ、そのたびに聖餐論についての講演を行い、その牧師会での牧師からの反応を論文にフィードバックさせて今回本を出版しました(注:『聖餐においてなにが起きているか』)。そういった努力は熱心になされていると思います」。
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ここまでをまとめれば、「神学の自由は何のためにあるのか」ということになろう。元々「学問の自由」とは大学が創設されて以来、あらゆる権威から自由になって真理を探究するために保証されているものである。しかし神学が教会の営みと無関係になされることはあり得ない。気がつくことは、「学問の自由」を標榜する、今回取材した神学教授達も、皆一様に教会との関係を良好に保っているということである。
次回は、さらに取材を進めた結果を紹介することにする。(今回取材した方々の紹介・写真などは次回にまとめて掲載します)
(上田彰報)

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