【4921・22号】《会堂共済組合》 被災にいち早く寄り添う

 2019年は前年に引き続き自然災害が多発し、特に台風は9月から10月にかけて連続して同じ地域を襲い、さらに豪雨が後追いするかのように襲い、被害が大きくなった。

 会堂共済組合では、事故報告の連絡が入り次第、罹災届の用紙を送付した。前回は大阪教区の被害が最大だったが、今回は東京教区が最大である。修理見積の提出をし、保険金の支払いを受け修理を行った後に、さらに被害に遭ったという教会もあった。

 2020年1月31日現在52組合員に総額5012万円の支払いを実行した。教区別の被災・支払い実績は下記の通り。

 まだ加入されていないところはぜひ問い合わせてもらいたい。現在の保険料との比較を勧めたい。教会・学校の財政の役に立ちたいと願っている。

(辻井秀雄報/会堂共済組合常務理事)

 

台風10号・15号・17号・19号および豪雨災害

(2020年1月31日現在)

教 区  被災組合員数   支払済組合員数     保険金支払額
東  北       3        3     16,828,000
関  東       4        4       1,076,700
東  京       28        20       7,913,400
西東京       4        4        3,265,600
神奈川       14        8      10,581,600
東  海       5        3       203,100
中  部       2        2      1,061,670
京  都       1        1       388,000
大  阪       1        1         44,700
兵  庫       1        1       276,500
東中国       1        1      4,289,200
四  国       1        0            0
九  州       4        4       4,191,500
合 計       69        52       50,119,970

【4921・22号】事務局報

阿部雄次氏(玉島教会主任担任教師)
 20年1月21日逝去、73歳。東京都生まれ。00年日本聖書神学校卒業。同年より大町、松前、平塚、玉島教会を牧会。

 遺族は妻・阿部光子さん。

 

相浦和生氏(隠退教師)
 20年2月3日逝去、79歳。兵庫県生まれ。65年関西学院大学大学院卒業。同年より広島流川、山崎、神戸平安、名古屋中央、神戸栄光、主恩教会を牧会し、11年隠退。

 遺族は妻・相浦恵子さん。

【4921・22号】旧アメリカン・ボード宣教師館と共愛学園

婦人宣教師たちの足跡

大川  義

(学校法人共愛学園 学園長)

 現在共愛学園(小屋原キャンパス)には、一棟の洋館が残されている。群馬県指定重要文化財「旧アメリカン・ボード宣教師館」である。学園の資料館として活用され、学園の歴史と宣教師たちの足跡を現在に伝える語り部としての役割を果たしている。

 

共愛の創立とアメリカン・ボード

 共愛学園は前橋英学校を前身として前橋英和女学校の名称で1888(明治21)年に開校した。設立の動きは、前橋英学校女教師で神戸女学院出身の不破清、村山雪、東京原女学校出身の笹尾縫らの強い呼びかけにより始まり、深澤利重、高津仲次郎、不破唯次郎ら教会有志、新島襄の助力、地元諸教会の支え、アメリカン・ボード宣教師の協力があり創立された。

 この年、アメリカン・ボードは前橋に活動拠点(後に前橋ステーション)を設置、最初の宣教師ミス・シェッドが着任、更に1891年にはノイズ宣教師夫妻が派遣された。ボードは女学校に隣接し同年に主任宣教師館(西館)を、翌92年には教育宣教師館(東館、現共愛学園所有旧宣教師館)を建設し、94年には前橋ステーションが正式に発足した。以後宣教師たちは半世紀にわたって、地域のキリスト教布教を維持・発展させ、同時に前橋では、⑴女学校における英語、聖書の授業や礼拝指導を担当して近代女性の生き方を示し、共愛教育の形成に貢献した。⑵ボード経営の前橋キンダー・ガーテン(清心幼稚園)の設置、⑶上毛孤児院への物心両面の援助と指導を推進した。

 

東館の婦人宣教師たち

 前橋ステーションには、半世紀にわたり宣教師が駐在した。宣教師の総数は16名。その内訳は4組8名の主任宣教師夫妻と、8名の独身の婦人宣教師からなっている。主任宣教師の主務は前橋ステーション管内諸教会の定例訪問・説教・援助等があり、これを夫人が助けた。一方独身婦人宣教師の任務は、清心幼稚園園長としてその経営と教育。共愛女学校では英語、音楽、聖書の教師として教育の重要な部分を担っていた。

 ここでは共愛学園に現存する東館に居住した主な独身婦人宣教師について紹介する。

★ミス・シェッド Miss Mary Helen Shed(在前橋1887-1891)

 1855年6月9日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市に誕生。ウェズリー大学で自然科学を修得。87年英語教師として来日。大阪・京都を経て同年9月教育宣教師として前橋に着任。前橋英和女学校では教授を通して本校教育の確立に尽力し、上州の諸教会を支援して前橋ステーションの礎を築くとともに上毛基督教婦人会を通じて当地の婦人と交わり、欧米における近代女性の生き方を自ら示した。また上毛孤児院、清心幼稚園の設立にも尽力した。94年3月前橋を離れる。帰国後も、ボストンから物心両面の援助を続け、ボストンで永眠した。

 

★ミス・パーミリー Miss H.Frances Parmelee(在前橋1892-1899)

 1852年5月13日、アメリカ合衆国オハイオ州ツウィングバーグに誕生。レイク・エリー・セミナリーを卒業。新島襄とデイヴィス宣教師の派遣要請に応じ、77年同志社女学校に着任。その後母の看病のため一時帰国、再来日し三重県の津ステーションを経て、シェッド女史の要請により前橋に着任した。この頃上州では廃娼運動が非常な盛り上がりを見せ、ガントレット恒、三谷民、久布白落実らが在校し、パーミリーは同運動を主導した。晩年は京都に居住、この地で1933年永眠され若王子山宮川家墓地に埋葬された。

 

★ミス・グリスウォルド Miss Fanny E.Griswold(在前橋1898-1931)

 1864年10月14日、アメリカ合衆国ニューヨーク州サウス・ポートに誕生。名門マウント・ホリー・ヨーク大学を卒業後、1889年初来日、京都同志社で教えた後、熊本女学校で柏木義円らと教壇に立った。98年、1年間の休暇後再来日し、横浜でアルブレクト師の強い要請を受け、鳥取ステーション赴任を変更して前橋に着任した。この後1931年までの34年間この地にあり、上州の巡回伝道の傍ら、共愛女学校の教育に携わった。また第2代園長として清心幼稚園の幼児教育の確立に尽力した。矯風会や教会婦人会の指導にも足跡を残した。1931年彼女の帰国により前橋ステーションは閉鎖された。

 

★ミス・キース Miss Cora F.Keith(在前橋1899-1903)

 1873年1月、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブレイトンに誕生。マウント・ホリー・ヨーク大学卒業。前橋、京都、松山、新潟、神戸、鳥取、宮崎各ステーションに在任。

 

★ミス・ホイッテ Miss Olive Sawyer Hoyt(在前橋1902-1905)

 1874年2月7日、アメリカ合衆国メイン州ポートランドに誕生。マウント・ホリー・ヨーク大学卒業。前橋、神戸、松山各ステーションに在任。松山では1920年から松山東雲学園の校長として女子教育に取り組んでいる。

 

★ミス・ケーン Miss Marion E.Kane(在前橋1926-1929)

 1899年11月20日、 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ダルトンに誕生。コロンビア大学卒業。前橋、神戸に在任。当時彼女が共愛に紹介した、メーデーのメイポール・ダンスは今でも、在校生により踊り継がれている。

【4921・22号】人ひととき 胡 宜芳(フー・イファン)さん 裏で支える者に  なりたい

 昨年9月、台湾基督長老教会と教団の交流を通し、信徒伝道者として来日した。4年前に台湾ユースミッションに参加して、来日を考え始めた。日本アニメが大好き。アニメを通して日本語に親しみ、大学でも日本語を専攻した。卒業後に来日の道が開け、教団学生・青年センター「学生キリスト教友愛会(SCF)」のスタッフとなって半年が過ぎようとしている。

 流暢な日本語には、ごく自然かつ頻繁に若者言葉が混じる。SCFスタッフとして担う務めを「私は、誰かがSCFに来た時、そこに必ずいる人」と明確に述べた。

 SCFへの訪問者の半数は、未受洗者だという。人とのふれあいと、受け入れられる安心を求めて、青年たちが集う。ふらりと立ち寄った時に、必ず迎えてくれるのが胡さんの笑顔だ。訪れた青年を受け入れ、話に耳を傾け、共通の話題で一緒に盛り上がる −居場所を求める青年たちに寄り添って、胡さんは自らも楽しみつつ、気負いなく主に仕えている。

 SCFではカフェタイムや聖書を読む会等の他に、胡さんが企画し、自身の愛称「草草(ソウソウ)」を冠した「草草食堂」を毎月開いている。得意の台湾料理を準備して、青年たちと食卓を囲む。食事をしながらの和やかな団欒が、お腹も心も暖かく満たしてくれる。

 4代目のクリスチャン。19歳で信仰告白をした。当初は礼拝が堅苦しく思えて、教会よりも教会主催のキャンプに惹かれた。今は主の御前に静まる礼拝がしっくりするが、キャンプ好きは変わらない。それも、サポートに徹するのが好きと目を輝かせた。「裏で支えるのが、私。信徒伝道者が人や企画を支えて働くのも、宣教のひとつの形」と、日台の架け橋は、まだあどけなさの残る笑顔で語った。

 台湾・台南市から来日、SCFスタッフ、東京台湾教会に礼拝出席

【4921・22号】教会に仕え続けた生涯

 1月半ば、秋田楢山教会(村尾政治伝道師、村尾いづみ伝道師)の会員であった方の葬儀に参列した。その方は仙台の教会で洗礼を受け、戦後結婚のために秋田市に転居され、秋田楢山教会で奏楽奉仕をされた。また、ご自宅でピアノ教室をもたれ、多くの生徒を指導された。

 ところが結婚して20年にもならない時、愛するご夫君が病気で亡くなられるという試練に遭ったのである。その時、その方の信仰は揺らぎ、教会に行くのをやめたいと故土合竹次郎牧師に話したところ、土合牧師は、「神様は貴方がこの苦しみに耐えられる人だと思って試練を与えて下さったのです。そうして奏楽奉仕という恵みを頂いているのですからそれを皆の役にたてるようになって頂けないでしょうか」と話されたとのことである(『広報ならやま』教会創立130周年記念誌より)。

 この牧師の言葉に魂を揺さぶられ、これまでたくさん頂いた神の恵みと、多くの方々からのご恩にお返しをしなければと気がつき、彼女は信仰の歩みを続け、以後96歳で召されるまで、オルガンでの奏楽奉仕をされたとのことである。

 全国各地でこのような忠実な主の僕が教会を支えていること、そして、そのようにして教会の明かりが消えることなく灯され続けていることを、あらためて深く心に刻んだことであった。

(教団総会書記 雲然俊美)

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