【4851号】荒野の声

園庭で賑やかに挙がっている声が静かになるひとときがある。一つは、お弁当のとき。クラスはうれしい声で一杯だが園庭は静かだ。もう一つは、礼拝のとき。全クラスの礼拝のときは当然だが、各クラスの礼拝の時間も、学校のきちんとした時間割ほどではないにしろ、同じ頃に各クラスの礼拝を献げる。そのときには、クラスも園庭も賑やかな声もひととき止む。▼礼拝のとき周りにもたらされる静けさは独特なものがある。礼拝を献げている共同体の静けさは外にいるとよくわかる。クラス礼拝の担当がなくて牧師室で執務しているとき、礼拝に遅刻して礼拝堂へとそっと近づくとき。主の日、この静けさは世の喧騒に掻き消されてしまうが、本当は教会の周りにあるはずだ。世界がすべて、主の御前に静まることを経験できるならどれほど素晴らしいことか。▼40教団総会は、未上程の議案を残し閉会した。各所から真剣に提案された諸議案である。かつては審議未了廃案に怒号の中で閉会の祈りが祈られた。今回は「セクハラ教団」の野次を最後に、議場全体が静まり、議長の祈りに祈りを合わせた。静まり祈ること、それは教会のいろはのいではある。

【4851号】『伝道する教団の建設』-十字架の贖いを土台として- 第40回教団総会

石橋秀雄議長・佐々木美知夫副議長再選

40回教団総会を終えた。冒頭、議案上程の手続不備等の説明に時間を要し実質の審議になかなか入れず、最後は上程できなかった議案を残し閉会しなければならなかった。しかし、審議全般に、秩序を守った会議となってきている。内容を伴う討議をなおいっそう深めることが求められる。「伝道する教団の建設」のため待った無しの課題が山積する中で新しい総会期が出発した。

「伝道する教団の建設」-十字架の贖いを土台として-を主題に掲げた第40回日本基督教団総会は、10月25日から3日間、東京・池袋のホテルで開催され、総会議員400名中、開会時366名が出席した。沖縄教区は、34回総会以来、7回連続して議員を選出しなかった。
石橋秀雄議長は、議長報告で、「『2030年問題』など、教会の内外で危機が叫ばれる状況の中で、『伝道する教団の建設』こそが、教団の教会のあるべき姿であり、使命だ。時を超え、国を超えて、『永遠の福音』を保持する公同の教会であるところに、教会の力と希望がある。
教団が宣べ伝える福音の内容と宣教のあり方についてはまだ議論が十分とはいえず、改訂宣教基礎理論草案を通して、議論が深まって行くことを願っている」と報告した。 続いて総幹事報告で、長崎哲夫総幹事は、「東日本大震災救援対策で、被災教会81の33教会に支援金5億7978万7429円。貸付は22教会で、貸付残高2億8200万3031円。
日本キリスト教会館耐震・改修工事は、16年2月終了。本工事費2億6250万円中、教団負担金は5071万円。貸付金4000万円、内部工事費、大久保仮事務所移転費を含め、教団の最終的総支出は、約2億円となった」と報告した。
1日目夜行われた議長選挙は、1回目の投票で有効投票の過半数に1票不足したため、2回目の投票で石橋秀雄議長が四選された。
石橋 秀雄 201票
久世そらち 158票
佐々木美知夫  8票
後宮敬爾、邑原宗男
梅崎浩二、雲然俊美
各1票
(投票総数373、無効2)
石橋議長は、「4期目という戸惑いもあるが、大きな課題があるので、懸命に取り組んで行きたい。福音に燃えて、伝道する教団を建設し、危機に立ち向かう。お祈りとお支えを頂きたい」との議長挨拶を行った。
副議長選挙は、佐々木美知夫副議長が再選された。
佐々木美知夫199票
邑原 宗男 128票
久世そらち  20票
雲然 俊美   5票
梅崎 浩二   2票
後宮敬爾、大月純子、
木村拓己、柴田もゆる、 藤掛順一、保科 隆、
真壁 巌
各1票
(投票総数362、無効1)
佐々木副議長は、「教団は、これから財政的にも機構的にも重要な時期に入って行く。教団が、伝道力をしっかり持って歩む、責任の重さを感じている」と挨拶した。
書記は、慣例に従い、正副議長提案の雲然俊美書記を議場が承認し、雲然書記は四選された。
長崎哲夫総幹事は、2期4年の任期を終えて退任するが、石橋議長は、「総幹事をここで推薦出来ないので、道家紀一総務幹事を総幹事事務取扱としたい」と提案した。議長責任を問う意見が続き、採決要求の動議も出たが、必要な3分の2に足りず、不成立となった。 石橋議長が、再度、道家紀一総幹事事務取扱を強く訴えて、同様の論議が再開したが、長山信夫議員(東京)の「総幹事は、これまでいろいろな仕方で選任されて来た」の発言を受けて、採決で決することになり、賛成215の圧倒的多数で承認された。
竹澤知代志出版局長は、4年の任期を終えて退任し、新出版局長に新藤敦氏を承認した。新藤氏は局次長を務めており、出版局内部から初の選任となった。
常議員選挙では、教職14名中、5名、信徒13名中、5名が入れ替わった(再17、新10)。
(永井清陽報)

九州教区提案議案について石橋議長謝罪

石橋秀雄議長は、総会冒頭の議事日程承認の際、北村慈郎教師の免職撤回を求める33号議案(大阪教区)と44号議案(神奈川教区)の2議案は、「戒規に関する議案であり、教規142条で『別に定める』としており、議案として上程出来ない」と説明した。また、「教憲9条と関連教規条項の改正」を求める42号議案(九州教区)は、「7月5日に受理したが、議長が知ったのは、9月13日で、教憲12条の求める3ヶ月前の公表が出来なかった。従って、今総会に上程出来ないことを、議長としてお詫びする」と語った。
これに対し、梅崎浩二九州教区議長は、「議案は、石橋議長が問安使として出席した5月の教区総会で可決したもので、3ヶ月のことは承知しており、7月の常議員会の際にも、議長にお願いしていた。公表は新報紙上でなくとも、他の方途もあった筈だ。
この際、教憲12条の求める公表とは何をもってするかを確定して欲しい。石橋議長が瑕疵を認めてくれたので、これ以上、議論は止めるが、教団新報紙上に議長の謝罪文と議案全文を掲載して欲しい」と語った。
石橋議長が、これを了承したので、2人の議論は収束したが、議場からも賛否両論が続き、組織会から第1号議案終了までに、最近の教団総会では、異例の1時間近くを要した。
常議員選挙は、常議員会提案の全数連記投票に対し、有澤慎一議員(大阪)が半数連記投票を提案。白熱した論戦となったが、意見はかみ合わず、投票の結果、投票総数363(有効357)賛成161、反対196で否決され、常議員選挙は、4期連続、全数連記制で行われた。
(永井清陽報)

【4849・50号】代務・兼務体制の中で

全国的に代務や兼務体制の教会・伝道所が増えているということを聞くことが多くなった。実際、小規模教会では、主に財政的な困難を抱えていて専任の牧師を招くことができず、代務者を立てたり、兼牧をお願いするということがある。
代務は、主任担任教師が不在となった場合に、他の教会の牧師などがその働きを代務することであり(教規第109条)、後任教師を迎えることをもってその務めを終えることになる。それに対して兼務は、その教会の牧師として就任することになるので、礼拝・牧会・伝道の務め全般を担うことになる(教規第111条)。いずれにしても、教会の労も多く、その働きを担う教師の負担も大きい。
私自身、同じ市内の教会の兼務をしてすでに25年になる。この間、他の教会の代務者となったことも何度かある。その経験からすると、当然のことであるが、代務であれ兼務であれ、教会によって状況がそれぞれに異なっているということが分かる。
代務体制期間中、近隣の教会の牧師たちによる礼拝説教の応援をしてもらい、その地域の宣教協力の具体化となった例もある。また、兼務体制ということについても、私などは、「伝道圏伝道」の一つのあり方であると受けとめている。
教会が自分の教会だけではなく、主の栄光を現わす教会として、他の教会と共に立つことの恵みということを思わされている。
(教団総会書記 雲然俊美)

【4849・50号】人ひととき 佐藤 好紀さん 冊の聖書との 出会いから

佐藤さんには、人に語れない空白の30年間がある。幼少期に家族から見捨てられ、暗闇の中を手さぐりで歩き、気付いた時には人生の裏道を歩いていたという。そんな中、信仰の道を歩み始めるきっかけとなったのは、一冊の聖書との出会いからだった。聖書が世界のベストセラーであると知り、興味を持ったところから、ある牧師にその気持ちを手紙で伝えると、その牧師が一冊の聖書を手に会いに来てくれた。その日から、前のめりにイエス様の教え・御言葉に傾倒していき、牧師の説教を聞き、一歩ずつ、確実に人間らしさを取戻していった。そして罪が赦され生まれ変わると知って、迷わず受洗を希望した。
洗礼式は、東日本大震災(2011年3月11日)の2週間後に予定されていた。ところがその日、牧師の身内の突然の訃報で、洗礼式が5ヵ月の延期となった。なぜこのような出来事が起きたのか、「私は神様に見放されたのか」と、洗礼式までの5ヵ月間、懊悩し、煩悶する日々であったが、「今はあの5ヵ月間があったからこそ自身の信仰が深まり、それを確認することができた。これも神様のご計画のうちだったのかと、感謝と感動を新たにしている」と語る。
その後、新しい生活の場を川口に与えられ、西川口教会を地図で見つけ、勇気を出して教会の扉をたたいた。ところが扉は固く閉ざされたままであった。消沈して背を向け歩きかけた時、入れ替わりに来た業者が、自分の気付かなかった呼鈴を押したことで、扉が開かれた。「その時はじめて、ここでも自分が神様に受容れられたのだと実感し、その思いは今確信に変わっている。御言葉を胸に、ただただ主の光を見失わないように歩んでいきたい。主とともに」と語る佐藤さんは今、光の子として歩んでいる。

福岡県出身、理容師、西川口教会員。

【4849・50号】宣教師からの声 番外編 静岡英和女学院宣教師、マクラクラン先生の話 近藤 泰雄 (静岡英和女学院中学校・高等学校元校長)

はじめに
2016年、本校は創立して129周年となります。長い歴史の中で、特に太平洋戦争の時はいろいろな意味で困難な時代でした。是非この戦争前、戦争中、戦後に大きな働きをしてくださったアニー・メイ・マクラクラン先生(Annie May Mclachlan)のことについて、皆さんに知っていただきたく原稿を書かせていただきました。
1 来日から強制送還まで
マクラクラン先生は、1895(明治28)年、カナダ大平原のマニトバ州パイプストーンに生まれました。先生は教員生活をしながらも婦人ミッションに入り、トロントの神学校で学び、1924(大正13)年に来日しました。それから途中2年間(昭和4〜6年)山梨英和で働きましたが、その後ずっと静岡で生活しました。先生のキリスト教の信仰に基づくすべての人たちへの愛は、多くの人たちに信頼され、愛されました。
昭和16年になると戦争の影響が大きくなり、静岡英和の名前も「静陵」と変えられることになりました。そして、外国人への監視も厳しくなり、宣教師の授業は次第に禁止され、理事会にも出席出来ず、寄宿舎の宣教師用の一室に事実上の軟禁状態になってしまいました。先生はついに在米日本人と在日外国人の捕虜交換船により、本国カナダに送還されることになりました。
2 戦争中の本国カナダでの生活
日本は、カナダ、アメリカなどの連合軍と戦争をしたため、カナダ、アメリカでの日系人は、敵国人として迫害されました。カナダでは、ブリティッシュ・コロンビアにタシメキャンプというカナダで最大で有名な収容所が設置され、多くの日系人が強制収容されました。このキャンプでは、子供の教育については小学校1年から8年までのクラスを置いただけで、高校を設けませんでした。カナダ合同教会は高校を設けるべきだとカナダ政府に抗議した結果、教会自らがキャンプ内に教師を送って高校クラスを作ることとしました。
マクラクラン先生は、このタシメキャンプにいる日系の青年たちのために毎日200キロの道をバンクーバーから通いました。日本の敗戦、収容所の廃止まで、青年たちを教え励ましました。戦後、カナダ政府は、この強制収容所のことを反省し、日系カナダ人に対して謝罪と賠償に応じましたが、その時、カナダ政府は彼女のことを「カナダの良心」と褒め称えています。
3 戦後の静岡英和での活躍
マクラクラン先生は1947年、敗戦後の日本を再び訪れ宣教師としての働きをしました。当時の静岡英和は、静岡空襲によりほとんどの校舎が焼けてしまいました。学校責任者は校舎の再建について苦労を重ねていましたが、カナダの教会の多額な資金援助により、なんとか再建をすることが出来ました。
マクラクラン先生は、静岡英和での教育宣教の仕事と一緒に、家庭を開いて「バイブルクラス」をしていました。男女を問わずこの「バイブルクラス」には、ほんとうに多くの静岡の優秀な若者が集まりました。この「バイブルクラス」より原崎清先生、長澤巌先生、杉山謙治先生などの多くの牧師が巣立っていきました。
4 榛原教会時代
静岡英和での働きが続き、その後、マクラクラン先生は榛原教会に赴任し、農村伝道のために働きました。このマクラクラン先生と榛原教会の長澤巌牧師との出会いは、教会員にも大きな影響を与え、後に榛原教会より重度心身障害者施設「やまばと学園」を生み出す原動力となりました。そして、この社会福祉法人「やまばと学園」は、今日では老人ホームなど多くの社会福祉施設が建てられています。
私がとても素晴らしい出来事と思うのは、この田舎の小さな榛原教会が「やまばと学園」設立を決意したとき、その役員のほとんどが今の職を辞し、この施設の運営に参画したことです。

5 母国での生活
この絵は、静岡英和の礼拝堂横の祈祷室に掛けられています。日本での働きを終えたマクラクラン先生は、母国カナダに帰り、妹さんと老人ホームで暮らしていました。晩年のマクラクラン先生は、毎朝この絵を見て、そして聖書を読んで、祈り一日を始めていたそうです。
1991年10月13日マクラクラン先生が亡くなったとき、その葬儀に、静岡英和を代表して当時英会話の先生であったカナダ人のトレバー・バンフォード(Trevor C.Bamford)先生が参列しました。
葬儀後、日本への形見として、この絵と聖書を持ってきてくれました。この絵は静岡英和に、そして、聖書は榛原教会に届けられました。この絵の内容は、「十字架の聖ヨハネのキリスト」というタイトルがついています。私たちは、この絵を見ながら、マクラクラン先生が「私を見ないで、私をそうさせているものを見てください」と言われたことをこれからも心に留めていきたいと思います。
(Kyodan Newsletterより)

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