【4852 ・53号】▼世界宣教委員会▲ 川合望宣教師派遣式 パイン合同メソジスト教会へ派遣

10月7日、教団会議室において世界宣教委員会主催で川合望宣教師の派遣式が行われた。司式は加藤誠幹事、説教は村山盛芳委員が担当した。当日は教団の世界宣教委員の他に、支援会や川合宣教師が3月末まで牧会していた金沢八景教会からも出席者があった。川合宣教師はビザがおり次第、米国カリフォルニア州サンフランシスコにあるパイン合同メソジスト教会の日語部に赴任する予定。
パイン合同メソジスト教会は、1870年代に渡米した日本人青年を中心に教会設立の機運が高まり、1886年に創立された。現在は、英語を話す人たちが中心の教会であるが、英語部と日語部の二つの部がある。川合宣教師は、日語部に派遣され、サンフランシスコの日系社会に向けての働きが委ねられる。同時に近隣の日本人牧師と協力しながら、カリフォルニアのベイエリア全体の日本語宣教を担うことも期待されている。米国のメソジスト教会も教会員が高齢化しており、日本人移住者の減少が進み、日本語を話す牧師の招聘が困難になってきている。そのような厳しい現実の中、川合宣教師の働きが祝されることを心から願っている。
前任者の近藤誠宣教師が任期満了で春に帰国、間を置かずに宣教師を派遣するために準備がなされてきたが、派遣式の時点でまだビザが発行されていない。「9・11」以降米国のビザの取得が難しくなっているのだが、派遣が決まって年度末で前任地を辞して時を待つ思いは、想像を絶するものがあるだろう。この時期をどのように過ごすかは、宣教師自身や支援会だけでなく、世界宣教委員会も担うべき事柄ではなかろうか。現地教会が働き人を求め、教団や教会の要請があり、それに応えて宣教師を送ることは、日本基督教団の大切な業である。宣教師の働きを覚えて祈り支えてもらいたい。
(村山盛芳報)

【4852 ・53号】▼「障がい」を考える小委員会▲国連障害者権利条約について講演

10月3~4日、第5回「障がい」を考える全国交流会が、新宿・戸山サンライズにおいて開催された。今回の交流会は、「国連障害者権利条約と障害者法制をめぐって」を主題とし、講師に、アジア太平洋障害者センター(APCD)所長、二ノ宮アキイエ氏を迎えた。15教区39名が出席した。
1日目の講演では、15年前、タイ・バンコクで障がい者を中心に組織されたアジア初の国際機関APCDの紹介と、APCDにおける国連障害者権利条約(CRPD)の実践を聞いた。障がい者に障がいのない人のように訓練することを求めるリハビリテーション思想は、社会に障がい者を含むすべての人を受け入れる配慮を求めるインクルーシブの発想へと移行している。障がい当事者が中心的役割を担うAPCDの取り組みが、インクルーシブ社会の形成に寄与している様子が紹介された。
これを受け、夕べの分団では、講演内容の分かち合い、講師への質疑、それぞれの課題等が自由に語られた。
2日目の講演は、分団での質疑への応答から始まり、キリストの宣教と障がい者をテーマに展開された。主の伝道の初めに障がい者、病者があった(マタイ4・23以下)。障がいのゆえにコミュニケーションが異なることは、異文化として理解することができる。
例えば、ろう者の文化は、難聴者の文化とは異なる。すべての人がまず自らのアイデンティティを持ち、そこから互いに異なる文化言語を理解し合い、受け入れ合うインクルーシブの共同体を形成していく。時間と忍耐が必要な取り組みである。また、教会が、建物、移動のみならず、礼拝、コミュニケーションやインフォメーションの面でアクセスに配慮しているか、教会員や関係者の間で「障がい」に関する学びが持たれているか等、具体的な課題も示された。
今回は、視覚障がい、聴覚障がい、身体障がい、知的障がい当事者6名が参加した。次回には、さらに障がい当事者の参加と交わりの充実が期待される。
(上竹裕子報)

【4852 ・53号】▼伝道資金小委員会▲17年度、14教区が申請

第6回委員会は10月14日教団会議室にて開催された。主な内容は以下の通りである。
⑴15年度伝道資金報告取扱いに関する件 各教区からの伝道資金および伝道方策交付金の報告を確認した。実施に至らない計画の援助は全額返金とし実施されたが、1万円以上の誤差があった場合については返金することとした。伝道資金該当者が未受洗者陪餐を行っていることが明らかになった場合は教区議長に委員長が運用指針の遵守を求めることとした。提出する報告書には教会名を明記し、教区総会報告に準ずる内容で報告を願うこととした。
⑵16年度伝道資金運用状況確認に関する件 負担金5660万円中30・3%相当の1719万4千円が納入されていること、交付金2575万4千円が送金済みであることを確認した。
⑶17年度伝道資金運用の確認に関する件 伝道交付金総計4525万6千円、教区伝道方策交付金1131万4千円、総合計5675万円であることを確認した。
⑷17年度伝道資金申請の審議および取扱いに関する件 沖縄、九州、大阪の各教区からは未申請であった。14教区からの申請となった。申請総額は5575万3千円であった。教区伝道方策交付金の申請額が555万7千円であった西東京教区に他教区を支える役割を担ってもらいたいことを願い、当該教区と相談し申請額が2百万円減額された。
また、教区伝道方策交付金申請総額については規則第7条に、教区の伝道方策交付金は負担金総額の5分の1および指定献金をもって充てることとされている。今回は負担金総額の5分の1を越えたので、不足分の36万円については15年度の交付金残額を充てることとした。以上により、申請総額を5375万3千円として承認した。
(高橋和人報)

【4852 ・53号】▼宣教委員会▲幼児教育・保育の宣教課題について発題

10月3〜4日に開かれた「『障がい』を考える全国交流会」に引き続き、4日午後〜5日、第39総会期最後となる第6回宣教委員会が教団会議室にて開催された。
宣教委員会のもとにある伝道、教育、社会の各委員会、全国教会婦人会連合、全国教会幼稚園連絡会などの自主活動団体の報告を受けた後、協議事項を取り扱った。
はじめに釜土達雄委員より「小学就学前の教育・保育と宣教の課題」と題して発題がなされた。そこで課題として、「幼稚園に関わる牧師の育成の必要性。日本伝道の初期に教育宣教師が担ってきた働きを受け止め直し、同様の役割を担う者たちを関係学校と共に育成すること。またその育成を教団のなかで位置づけること。幼稚園に関わる者たちが孤立しないように教団として相談窓口の設置が求められること」などがあげられた。また幼児教育・保育を伝道の手段とするのではなく、教育・保育そのものが目的とされるべきであり、それが伝道の土壌づくりとなるのだと語られた。
また38総会期より引き継いできた「牧会者とその家族のための相談室」設置を巡り、具体化するための準備委員会を組織できるよう常議員会への提出議案を整えた。
さらに3月に開催された宣教方策会議の報告書作成の進捗状況が報告され、その取り扱いについて協議した。報告書草案はすでにできあがっているが、当日の講演者、発題を担当したパネラーにも目を通して確認してもらうこととした。年度内に全国諸教会に配布できるよう事務局で作業を進めることが確認された。
幼稚園・保育園を巡る課題、「牧会者とその家族のための相談室」設置はじめ、教団として取り組まなければならない課題がいくつもあることを確認した今総会期の宣教委員会。一つ一つを神が満たしてくださることを祈りつつ期待する委員会であったと感謝したい。
(清藤 淳報)

【4852 ・53号】クリスマス メッセージ さあ、ベツレヘムへ行こう!

ルカによる福音書 2章1〜20節

森島豊

暗い夜の時代

クリスマスは夜の出来事です。それはただ時間的に夜であったというのではなく、暗く重たい闇の力が自分たちを支配している中での出来事であったと聖書は物語っています。誰でも知っている暗闇です。そこに光が訪れる。その喜びを、ルカによる福音書は羊飼いに起こった出来事を通して伝えています。
ここに登場する羊飼いは夜の暗闇の中にいます。その暗闇がどれ程深いものであったかが、その前の1節以下で語られています。彼らが暗闇の中にいた頃とは、皇帝の勅令という国家権力の力が忍び寄ってきた時代です。いったい何が始まったのか。住民登録です。それは税金を集めるためです。その目的の一つは戦争の準備でした。クリスマスとは、国家権力によるきな臭い時代の始まりを感じさせる暗い時でありました。今日で言うと、マイナンバー制度でしょうか。
ヨセフとマリアも住民登録をしなければならなかったので、ベツレヘムに向かいました。マリアとヨセフは行きたくなかったと思います。なぜならば、マリアは身重だったからです。ナザレからベツレヘムまで、直線距離にすると約百キロです。それは東京から富士山を越えた山梨ほどの距離です。当時は道路も舗装されていません。山あり谷あり砂漠ありの道を身重の女性が旅をしなければならなかったのです。マリアとヨセフは絶対にこの旅をしたくなかったはずです。けれども、身重の女性であっても免除してもらえることがなかったのです。暗い時代です。何でこんな時に、よりにもよって何故この時に、嫌なことが重なって起こるのだろうか。そういう時です。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とあります。赤ちゃんがお腹にいたのでゆっくり行かざるを得なかったのでしょう。着いた頃にはもう泊まるところが埋まっていた。ここに、競争社会の中で競争に負けた家族がいる。しかも誰も助けてくれる人がいなかった。もしかすると、ヨセフと同じ血筋にある親戚もどこかにいたかもしれない。けれども、自分たちを受け入れてくれる家族はいなかった。主イエスを身ごもるとは、彼らにとってそういう出来事だった。どこにも自分の居場所がないのです。暗い夜の時代です。

暗闇に横たわる者たちに

その頃、その地方で夜通し羊の群れの番をしている羊飼いたちが登場した。羊飼いたちが登場するのは、ここでなければならなかった。
ところで、何故羊飼いたちは夜通し羊の群れの番をしていたのだろうか。何故彼らは住民登録に行かないのだろうか。身重の女性であっても免除されなかった住民登録に、何故彼らは行かないのだろうか。
考えられることは一つだけです。彼らは住民登録をする必要がなかった人間だったのです。もっとはっきり言えば、彼らは住民登録をする権利を持っていなかったのです。あなたはそこにいます、と数えられていない人間がそこで夜通し働いていた。ここに、生きている内に数えられていない人間がいた。いくら頑張っても、自分の手の働きの確かさを数えることのできない人間がここにいた。けれども、生きていくために働かざるを得なくて、昨日と同じ虚しい働きを今日もしなくてはならない人間が、暗闇の中に横たわっていた。その意味で、本当に暗い夜を過ごしている人間がここにいた。
状況は違えども、この暗闇を知っている者は多いのではないか。子どもも大人も年を重ねた者も皆知っている暗さではないか。私という人間がここにいるのに、必要とされていない。まるで空気のように扱われている。嫌でも思わされる。自分などいてもいなくてもどっちでもいい存在なのではないか。いやむしろ、自分なんかいないほうが、社会にとっても、家族にとっても、都合が良いのではないだろうか。「私なんか、僕なんか…」。誰でもが知っている暗さです。
聖書は、神がご自分の御子の誕生の喜びを一番最初にお伝えになりたかったのは、この羊飼いたちだったと語っているのです。子どもが生まれたら誰に一番最初に伝えるでしょう。きっと大事な存在に伝えるでしょう。神は、ご自分の御子がお生まれになった時、誰に一番最初にお伝えになりたかったのかというと、「私なんて、僕なんて」と自分の存在意義を見出すことができず暗闇で横たわるしかなかった者に、この喜びを一番最初に伝えたかったと語っているのです。
「恐れるな」。あなたを救うお方が生まれた。あなたを無に帰さない方がお生まれになった。だから、もう恐れる必要はない。この人を見よ。
この知らせを聴いた羊飼いたちは立ち上がりました。それまでは立ち上がれなかったと思う。心伏していた。けれども、この言葉を聞いて、立ち上がったのです。立ち直ったのです。そして叫んだのです。「さあ、ベツレヘムへ行こう」。

現代のベツレヘム、御子がおられる場

現代のベツレヘム、それはどこにあるのでしょう。もちろん、ベツレヘムという地名は今もありますが、そうではなくて現代のベツレヘム、御子イエス・キリストがおられるところはどこにあるのでしょう。現代のベツレヘム、それは教会です。羊飼いたちは、「さあ、教会へ行こう」と叫んだのです。仕事が一段落してから向かったのではありません。仕事の最中に立ち上がったのです。朝になってから向かったのではありません。夜の内に出かけたのです。闇の中で向かったのです。
教会は時間ができたら行くものと考える方がいらっしゃるかもしれません。問題が解決して、疲れがとれたら行こうと思うかもしれません。しかし、羊飼いはそうしなかった。仕事中に立ちあがった。問題が解決しない中で、暗い内に出かけた。暗闇と義務に勝って、そこへと向かわせるものがあったのです。それは、自分を救うお方の存在です。自分を救う神が来て下さった。そのお方を見たかったのです。ここに仕事に勝るものがあります。疲れや睡眠に勝るものがあります。彼らは「主が知らせて下さったその出来事を見」たかったのです。
教会、それは御子キリストがおられる場所です。神は世界中どこにでもおられますが、その神が私たちを救うお方としてご自身を明らかにされる場所。御言葉が語られる場所。そこに教会があります。ここに来れば、キリストが私たちを救うために来られたことがあなたにも分かります。この出来事を証しするすべての教会の説教者の上に神の祝福を祈ります。
(青山学院大学宗教主任)

  • International Youth Conference in Kyoto

    公募・公告

    日本基督教団年鑑2017年版

    日本基督教団 伝道推進室

    東日本大震災救援対策本部ニュース

    教団新報 archive

    教日本基督教団 文書・資料集 申請書等ダウンロードコーナー

    月間 こころの友