【4895号】新春メッセージ 言葉を失うその所に

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。《テモテへの手紙二 4章2~5節》

 

言葉を失う中で

 大災害の凄まじい破壊の中に立って言葉を失う経験をした。災害のみならず、突然思いがけない苦難に襲われ言葉を失う。愛する者の死を前に言葉を失う。この言葉を失う時、そこで救いとなり慰めとなり、希望となる言葉が響く。十字架と復活の主の言葉だ。

 「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1・4~5)。

 言葉を失って苦しむ闇の中に人間を照らす光として命をもった言が、御言葉が響き渡る。

 この御言葉にのみ与えられている御言葉だ。

 「神の御前で、…キリスト・イエスの御前で、…厳かに命じます」(二テモテ4・1)。この命令の言葉は、パウロが愛するテモテに語った言葉だ。しかし、歴史の中の全ての教会に教え、命ずる御言葉として聞かれてきた。

 日本基督教団の教会に、新しい年の歩みを始めた教会に「厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2節)との御言葉が響き渡る。

 この部分は口語訳聖書の「時が良くても悪くても」が心に焼き付いている。昨年12月に発行された聖書協会共同訳では「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい」と訳されている。

 御言葉は教会にのみ託されている。

 「時が良くても悪くても、どのような時にあっても、御言葉を語ることに集中しなさい」と、私たちの教会に第一に「厳かに命じる」と主の御心が示される。

 

御言葉に感動しているか

 「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(3~4節)。私たちの教会の礼拝で御言葉が御言葉として語られているかが、問われている。

 3年前のことだ。キリスト教保育連盟の事務局に行ったら叱られてしまった。「教団議長に言いたい」と、教団議長として叱られた。

 「キリスト教保育」という保育雑誌が毎月発行されている。キリスト教保育誌の中に説教の例話が掲載されている。教団の牧師も執筆する。この編集担当者から叱られた。

 「日本基督教団の牧師は福音を語ることを、道徳を語ることだと思っている。福音を語って欲しい」と。

 子どもに福音を語る時、福音を語るのではなくて「道徳を語っている」という。幼児の世界だけでなく、御言葉が御言葉として語られているか、福音が福音として語られているか問われる思いがした。

 毎年、私たちの教会幼稚園で新日本フィルハーモニーの4人のメンバーが園内演奏会をしてくれている。園児の父母に新日本フィルのコントラバスの奏者がいたことで、園内演奏会が開催されるようになって30年になる。コントラバスを中心にバイオリン、ファゴット、ピアノで編成されている。

 このバイオリンを、涙を流して聞いた園児が、バイオリンを始めて芸大に進み、今、プロのバイオリン奏者として活躍している。

 30年経ってメンバーも変わった。コントラバスの奏者、ピアノの奏者が逝去し、ファゴットの奏者が引退し、今は、あの涙を流していた園児だったバイオリニストを中心に新しいメンバーで演奏会が開催されている。

 この演奏会は、新日本フィルのメンバーにとって日本一賑やかな演奏会だ。ファゴットが分解されてテーブルに置かれている。演奏者は笛から始めて、分解された部分一つを繋げては鳴らし、また一つ繋げては鳴らす。音がその都度変わる。音が変わるたびに笑いが起きる。大人気の演奏となる。コントラバスがバイオリンに負けじと出す高音、この競争を大喜び。

 バッハ、ヘンデル、モーツァルトといったクラシックの音楽に子どもたちは手をたたいたり、体を動かしたり、踊ったり、笑ったり、静かに耳を澄まして聞き入ったり、音楽を聴いて様々な反応をする。演奏家たちは、この子供の反応を楽しみながら演奏をしてくれている。

 このメンバーで鍵盤楽器の優れた演奏家だったが、心筋梗塞で召された鈴木隆太さんは聖公会の会員だった。讃美歌21を作る時の協力者の中に名前がある。新日本フィル以外のオーケストラからも招かれ、演奏会になくてはならない演奏家で作曲家でもあり、讃美歌を作詞・作曲した。

 鈴木さんのお別れの会に出席し、奥様と親しく話した。「越谷幼稚園に行くことが何よりも楽しみで、ニコニコして出かけていた。そして『アーおもしろかった』と言って帰ってくる。曲を選ぶ時は、『この曲は、とても良い曲だ。良い曲だから子どもたちが聞いてくれないはずがない』と言って曲を選んでいた」と話してくれた。

 鈴木さんの「これはとても良い曲だから、子どもたちが聞いてくれないはずがない」との言葉に考えさせられた。鈴木さんの「その曲に感動し、この曲を子どもたちが聞いてくれないはずがない」との確信から演奏する姿を思い浮かべながら、説教者としての姿が問われる思いがした。

 私たち自身が御言葉に感動し、御言葉を語ることを何よりも喜びとし、この御言葉が聞かれないはずがないとの確信をもって語る者であるかどうか。

 

御言葉を宣べ伝える

 「しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(5節)。

 御言葉を語るということは福音を語ることだ。

 何よりも、十字架と復活の福音、罪の赦しの福音こそが、大災害や様々な苦難の中で言葉を失い、生きる道を見失っている人々を慰め、救い、希望を与えることができるのは福音以外にないとの確信に立って語る者であるか。何よりも「このわたしが福音に生かされ、福音を喜び、楽しむ者」であるかが問われる思いがした。

 御言葉を御言葉として語り、福音こそが、どのような苦難の中にあっても、慰めと希望を指し示し生かす力であること、この確信を語る者として、証する者として励みなさい、との御言葉が示されている。

 教団は今、「伝道の命と力の回復」が求められ、教団の伝道推進に一致して取組む決意を第41回総会で新たにした。

 様々な危機が叫ばれる時、「厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい」との御言葉に、厳粛に聞き従うことが求められている。
(第41教団総会議長・越谷教会牧師)

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