【4572号】三宅島伝道所の集い 避難指示解除を目前に

岐路を迎える避難島民の礼拝

礼拝と交わりの場

「やあ今日は」
「お元気でしたか」
こんな挨拶をかわしながら第一四回「三宅島伝道所の集い」が一月一五日の土曜日、三崎町教会において開かれた。二〇〇〇年九月二日の全島民避難以来この集いを持って今日に至っている。今回は二月一日の避難指示解除を目前にしての集いだ。
避難当初いくつかの教会を会場としたが、ここのところはずっと東京ドーム近くの三崎町教会を借用している。目下伝道所関係者は都区内各地の他に神奈川や埼玉といった広域に居住している。足の便のよい教会は有難く、またいつも温かなもてなしを頂き感謝をしている。
四年半前、三宅島雄山噴火に伴う避難に際して東京教区東支区は「三宅島雄山噴火被害救援委員会」を立ち上げ救援に当たることにした。教団社会委員会に依頼し義援金を呼びかけて頂く。これは三宅村や伝道所関係者に見舞金として届けられつつあり誠に感謝という他ない。
それから「救援委員会」が大事に考えたことは伝道所の兄姉に礼拝の場と交わりの場を確保するということだった。普段は最寄りの教会に出席することを勧めてきている。そして三~四ヶ月に一回は皆で一同に会し礼拝を守ることにした。このような困難な時、何よりも主なる神より慰めを頂き、み言葉を通して励ましを受けることが大切であると考えた。
説教には東支区内の牧師に順次願って来ている。土曜日午前一一時から開始されるが牧師方は謝礼無しで喜んでかけつけてくれている。出席者一同はそれぞれ豊かな賜物を持った先生方から命の糧を頂いて来た。また牧師方には三宅島の兄姉に親しくふれる機会、その困難さを理解して頂く折となっている。

焦りと恐れと悔しさ

司会には伝道所関係者で受洗した者が当るようにしている。
今回は田中正之兄(六〇)であった。兄は当初出来るかどうか心配を表明していた。ここのところよく眠れないからである。兄は食糧雑貨を扱うスーパーを経営していた。夫人、高校生を筆頭に三人の息子さん、母親の六人暮しであった。入居した都営住宅は大そう狭く二人分の布団で三人が眠るという具合であった。不慣れな環境・学校生活ということもあって一人の息子さんが心のバランスをくずしクリニックに通うことになる。
何とかもう少しゆとりのある住宅が欲しいということで村役場・都と折衝。ようやく別の都営住宅に移り住むことが出来た。一方、兄も遊んではいられない。職さがしのためにハローワーク通いを始める。年齢不問ということで申し込むがことごとく不採用。中高年の再就職の困難さを身をもって感じている。
島にはスーパーの店と住居が残っている。これまで何度か一時帰島の際に建物の片付けに当って来たが物は散乱しネズミの死体はありで、手のつけようがない。いっそのこと噴火で焼けてなくなれば世話ないが、なまじっか残ったものだからいつまでも建物のことが頭から吹っ切れない。
兄は帰島を断念している。建物の補修には莫大な費用が要る。返済する力はない。かつては三八〇〇人もいた島民もかなり少なくなり(現在三二〇〇人)商売の目途がたたない。子供たちの学校のこともある。母親喜久姉は体が弱く、今なお火山ガスの流れる島に帰ることは困難なことであったが昨年九月帰島を果すことなく天に召された。いつもにこにこしたよいお母さんであった。
今、避難解除を目前にして兄の心は揺れている。“焦りと恐れと悔しさ”を覚えている。帰りたくても帰れない。こちらにいても仕事がない。一体どうすればいいんだ。神さま何とかして下さい―。
このようなことで司会が出来るか危ぶまれた。しかし兄は落着いた声で司会を始めた。〝これまでのこの集いを通してどんなに慰め励まされたことか。帰島する者、残る者に神の導きがあるように。私たちを憐れんで下さい”と兄は祈りを捧げた。
私たちは兄の上に主の守りと支えを祈らざるを得ない。彼の弱さを通してキリストの力が宿るように祈る。第二コリント一二・九。
今回の説教は小岩教会・井上馨牧師に担当頂いた。師は第一コリント一・一〇以下に基づき「主にある一致の勧め」と題して語った。教会には主(ぬし)のようなものがいてはいけない。人間崇拝の集団であってはならずただ主キリストと父なる神をのみ崇むべきこと、礼拝を大切にして真の救いを伝える使命に進む、そこに主に在る一致のあることを師は示した。
伝道所は会員二人、他教会員六人、求道者二人、計一〇人の小さな群であるがいずれは教会となった場合のよい指針を説教は示してくれた。否、伝道所の段階から主に在る一致の絆をいよいよ深めていかなければならないことである。

互いの近況を語り合う

カタコンベの壁を思わせる小礼拝堂での礼拝を恵みの内に終えると三階に移動し昼食をとりながら互いの近況を語り合う。第二部「交わり」の今回の司会は救援委員会委員であり東支区長の米倉美佐男牧師が当った。以下にその要旨を記してみると……
鎌川文子姉は一番古い会員である。福島県で信仰に支えられ夫が島の人なので島に移り住み民宿を経営して来た。民生委員を長く勤め信望が厚い。噴火直後、神経の調子がくずれたが今はすっかり立ち直り、夫と姑と三人で帰島の準備をすすめている。
宮下雪子姉は三宅島伝道所が一九五五年に始まって以来の初穂である。ケアマネージャーをしていたがこちらでもお年寄りのために介護の仕事をしている。当面島には帰らず高齢者伝道を志している。
片寄一輝兄は整体師でこちらでもその仕事を続けている。当地でバイクに乗っていて重傷を負うがやがて信仰に導かれた。妻の玲子姉そして両親と共に残る予定。玲子姉は美容院を営んでいた。やはりこちらで受洗。二人とも目黒原町教会員。
田中正之兄については先に述べたが妻の恵美姉が共に出席。姉は週二回都立の看護学校の事務に当っている。二人とも神戸・山手教会員。
佐々木美代子姉は片方の足を不自由にしているがとても元気がいい。求道中。静かな島・三宅島への帰島を心待ちにしている。夫は漁師さん。
松尾純子姉は主人が三宅高校校長で島にいた時に噴火にあった。こちらに来ても伝道所を支えている。青梅教会員。
前回見えたが今回欠席の赤羽美江姉は島では養鶏を営んでいた。こちらでは福祉施設に勤務。当地で信仰に導かれた。帰島を待遠しく思っている。与野キリスト教会員。
同じく、今回欠席の井上けい子姉はひと足先に島に渡り電気関係の仕事をする夫を助け、島民の帰島の準備に当っている。求道中。
以上伝道所関係者一〇人の様子を伝えた。当日は他に救援委員七人、一般有志参加者五人、計二〇人であった。これまで大体二〇人前後の集まりで来ている。
今、伝道所は岐路を迎えている。帰島組と残留組とに分かれたからだ。残る人は本当は帰りたい。“瞼の三宅島”である。しかし帰れない事情がある。一方の帰る人も意気揚々という訳にはいかない。ガスマスクを持って島におり立ち生活をする。決死の覚悟が必要。残る人・帰る人双方への心配りが求められる。
現在島には伝道所の建物はない。一九八三年の噴火の際に焼失し未だその地は危険地域に指定されている。噴火直前まではこちらから牧師が交替で赴き場所を借りて集いを行っていた。今後もそのような形になるか検討中である。
それにしても何で三宅島の人々がこんなにも長く苦しまなくてはならないのか。この問はこれまで様々の自然災害にあった人々についても言えることであろう。神がよい意志をもって世界・人間を創造しこれを保持しているというのにこの大きな悲しみはどう受けとめたらよいのか。
私は神のメッセージとして次のように聞く。①神の大きな力を知り人間の小ささを悟り生死を神に委ねて生きよ。②人よ、争い・戦争事を止めて助け合って生きよ。③人間の欲望が災害を増幅している面があることに気付け。④被災者は災害を免れた人達に代って苦しんでいる。⑤苦難を通して神は救いに導いておられる。……
(河合裕志報 三宅島伝道所代務者・西新井教会牧師)

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