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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4576号】メッセージ

2005年4月16日

ヨハネによる福音書 二一章一~一四節

何か、食べる物があるか ジョイス・マギー

イエスのアンコール

ヨハネの福音書の二一章のところでは、イエス様がアンコールをします。友人との再会の場面です。
私たちはよく、すばらしいコンサートの後、感動した聴衆がミュージシャンを呼び戻す光景を見ます。するとたいてい、以前より親しみやすい、楽しい音楽を聞かせてもらえます。心と心が響き合うような親密な雰囲気に浸ることができます。それは正に新しいメッセージを伝えているように思われます。
ここでイエス様が弟子の前に現れたことが、同じような感じです。イエス様は夜の海から疲れきって帰ってきた友人たちのために朝食を用意するのです。ペトロは岸に立つイエス様を見ると、波の中に飛び込み、泳いでイエス様に会いに行きますが、これは音楽のアンコールと同様で、新しいエネルギーが突然満ち溢れたに違いありません。弟子たちはイエス様の言葉に従って、期待に胸ふくらませ、網をもう一度海に投げると、信じられないほどたくさんの魚を獲ることができました。
「何か食べ物があるか」とイエス様が個人的な質問をされ、大事な食べ物のことを持ち出されたのは、正に親密さを表されたことにならないでしょうか。
彼らにとっての魚とは、彼らの食べ物であり、彼らの仕事でもあるのです。魚が獲れないことは、飢えにも精神的な失望にも繋がります。イエス様は弟子たちが苦しい生活に直面することを知ってらっしゃいました。聖書ではPTSD(精神的苦痛、圧迫、無秩序)という言葉を使っていませんが、確実に彼らは衝撃を受けていたのです。以前の仕事である漁師に戻ろうと決め、普通の生活に戻る試みをしていたのです。
彼らが絶望していた時、イエス様は元の姿に戻って彼らの前に現れました。これは特筆すべき非常に大切な章であります。それは(出エジプト記3・6、6・7、 19・9)で神が使われた言葉に繋がってきます。神はアダムとイブと共に歩みました。神は自らを顕し、イスラエルとの出会いを創り出したのです。
イエス様も同様に自分自身の本質を私たちに知らせます。このフレーズでヨハネはイエス様が神であることを主張しています。
私たちは復活したキリストが王や全能の神として顕れることを期待しますが、決してそうではありません。イエス様は手厚くもてなすために使徒のところにやってきます。そのイエス様の友人たちは飢え、疲労し、失望しています。
イエス様は、火を起こし、魚の焼けたすばらしい匂いと一緒にそこに顕れます。これは彼らの生涯で最良の朝食であったに違いありません。イエス様は彼らにいかなる要求もしませんでした。彼らが逃げたり、物陰に隠れても叱りませんでした。宴に招待し、食事を用意さえしたのです。招待して、釣ったばかりの新鮮な魚を分け合って、彼らの価値観と自尊心を回復させたのです。

船員さんたちのため

夫と私にとって、この話はまた別の意味を持っているのです。というのも、この二〇年近く、私たちは海上で荷物を輸送する仕事に携わる船員たちと深く関わってきたからです。船員は海を渡って国から国へ物資を輸送する仕事で、それによってもたらされる多くの産物により、我々の日常生活は非常に裕福となり、生活レベルも高まってきました。スーパーマーケットにはおいしそうな食べ物が満ち溢れています。船がフルーツや野菜、穀物、肉、魚や異国の食品を運んでいるからです。彼らはまた木材や石、機械類、石油など我々が安楽に文明生活を楽しむのに必要な物資や、普段気付かない日常品などを輸送しているのです。
大きな船が、多くの場合男性ですが、ほとんど一年も家族と離れ、しばしば危険で孤独な環境の中で生活している人々によって動かされていることにまで注意をむけている人が世界中に何人いるでしょうか。海上での個人の時間は非常に制限され、ほとんどないに等しい者もいます。家族と話をするのも遠く離れた港から、時には数カ月に一度、テレホンカードを買えた時の何分かを確保できる程度です。
イエスの友人たちへの有り様は、わたしの街に入港する船員さんへの有り様をわたしに示唆してくれています。彼らは時に弟子がそうであったように、海上生活に失望している。彼らには浜辺での朝食は必要ではないが、交わりの場であるシーフェアラーズ(船員)・センターでの友好的な出会いは必要です。お茶やビールを飲んだり、自分の家にいるような雰囲気の中で会話を楽しんでいます。家族とコンタクトを取るために、コンピューターや電話を使っています。ときどき誰かと一緒に祈りたいと頼まれます。多くの船員は冷たい荒海に直面するとき、気持ちを落ち着けるための勇気づけの言葉を必要としているのです。
我々の場合、船員たちは漁師ではありません。しかし、世界中の多くの港では、漁師たちが、人道的な法律規制もない、非常に残酷で、訓練されてない産業に従事しています。世界の貧しい階級の人たちは船倉にいっぱいに押し込まれていたのです。そして、魚は市場に出され、金持ちの特権階級の人々に供されているのです。漁師たちは家族の元にめったに帰れず、報酬もほとんどなく奴隷のように働かされているのです。

エキュメニカル奉仕

シーフェアラーズ・センターは、入港した人たちと関わっていくため(ヘブライ人への手紙13・1~2)協賛した苫小牧市の五つの教会のプロジェクトです。
イエス様が、必要としている人々に一杯の水を与えるように、私たちに頼んだのです。私たちは自分たちが用意できる簡単なことを船員さんたちのためにしているのです。レクリエーションの場や電話設備、そして夕方の憩いの時間を提供しています。我々はまた港と街が遠く離れているため、船員さんたちが街にいくためのバスを用意しなければなりません。
彼らの話を一緒に聞き、分かち合うことが、彼らの尊厳を取り戻すきっかけをつくることになっているのだと思います。喜びや悲しみに耳を傾け、彼らのギターに合わせて一緒に歌を歌う。多くの船員さんたちが何回もここにやってきて、私たちと親しくなっています。彼らは私たちの港に家庭の温かさを見出しているように感じています。
ヨハネ二一章はイエス様がペトロに「わたしの小羊を養いなさい」というよく知られた話に続いています。イエス様はペトロをほかの人々を助ける仕事に送ります。ペトロはもはや悲しんでもいられず、人々を助けるために旅立つことになります。
この言葉は私たちへのメッセージでもありましょう。イエス様が身体的な飢えや感情的な傷や精神的な空虚感を癒したとき、そのようにすれば良いのだという例をお示しになっていたのです。彼らに魚を獲らせたときも、やはり、他者の必要に応じた奉仕をするようにという例をお示しになったのでした。
(宣教師 北海教区・苫小牧地区)

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